多摩川に さらす手作り さらさらに
なにそこの児の ここだかなしき
萬葉集 巻十四 三三七三
古の多摩川流域は苧麻が多く採れ、調として納入する麻布の生産地だったという。
原文の多摩川には“多麻河泊”の仮名が使われているから、植物の麻(苧麻)がいかに周辺地域の産物であり、生産地と成り得た布作りに適する諸条件を満たした自然環境であったことかと想像する。
糸を績み、丹精こめて織り上げられた萬葉の麻織物は、上流から清く流れくる水の力によってその出来映えが整えられ、すべての背景である風土のもと、布を晒す作業にいそしむ人びとの姿が日常的に見られていたのだろう。古代文学研究者の近藤信義氏は「“さ”の同音を重ねた響きの良い歌詞は、水の呪力を呼び出し賛美するための句であるように思われる。」と「水」が持つ力やその呪力について、多面的に歌を読み解いておられる。(古橋信孝編『ことばの古代生活誌』河出書房新社)
つよい日射しの照りつける中、川面を渡る乾いた風は肌を冷まし、時折り人びとの笑い合う声が遠く川岸から聞こえてくる。
草の上に腰をおろして、離れた場所から布晒しをしている人びとの姿を陽が傾くまでただいつまでも目にしているような、そんな錯覚、そんなふうに気持ちをどこかに持って行かれてしまうほどありありと浮かぶ光景、いきいきと仕事に励む人びとの純朴さと、陽の傾きで知る時の刻みと。
この歌が伝えているところの心情が何より主体ではあるのだけど、流れる川も、晒す布のくねりも、言葉からの音律も、湧き上がる感情も、この歌に在るすべてのものが動いているので、何か陽にかざした映像を見ているような歌だなと思う。
遙か時が移ろっていても、言葉というものは天然色の衣を身につけていて、綾なす角度によって濃く浅く色を動かす。日本の言葉を美しいと思う。
ナツという言葉の語源は、アツ(暑)、ネツ(熱)、など、温度が上昇した時点の状態を表す言葉が転じたのではとの説があるそうで、夏の字をあてた。
手にする水の感触が心地よい季節になった。
蛇口をひねり、水を出す時、コンビニで求めたミネラル水を開ける時、『“さ”の同音を重ねた響きの良い歌詞は…』がなんとなく思い出されて、のどの奥でさらさら、という言葉が浮かんできては消えてゆく。
さらさら、さらさら、と水を賛美したら、もうすぐナツがやってくる。
2015.07.19
古裂古美術 蓮
田部浩子