緑地一重蔓牡丹唐草文緞子裂 17世紀

 

今年も暮れゆく、今日はとうとう大晦日です。
本日東京は雨上がりのお天気になり、陽ざしの届く、穏やかな一日になりました。
太陽が移動して陽が翳る頃、それまでしていた片付かない仕事に一応の区切りをつけました。ゆっくりはできませんけれど、年末らしく、少しばかりものを整理し、普段と異なることをしてみて大晦日の気分になりました。

 

今年最後の郵便物を出しに道を歩いていると、辺りは人も少なく、年の瀬の閑散とした街の、それがかえって何か平和な、あたたかなものを感じて、静かなことはいいこと、と言葉になる以前の淡い想いを心に浮かべました。年末の休業に入った商店に飾られた松飾りを、足取りゆっくりと通り過ぎながら見て歩く。青々とした、枝分かれのしていない一筋の松だけを、店先に潔く立てている商店があり、その良さに、ほんの一寸立ち止まる。お餅の白さにしろ、松の青さにしろ、清浄なものが感じられるものは日本的で清々しく、真白な江戸期の麻布を夜までに出してみよう、などと思いました。

 

大晦日になり、今年もルリスタンの青銅の小さな鐘を箱から取り出し、飾りました。小さな釣鐘形の、舌が失われている鳴らない鐘で、箱に紀元前2世紀とあります。いつも記してしまいますが、自分の除夜の鐘としており、いつも大晦日に取り出すのです。

 

音を鳴らすために作られたものなので、たとえ音が鳴らなくても、そのもの自体は遠い昔に鳴らすことのできた音の存在を、かすかに纏っているように思えるのです。はるか昔に鳴らすことのできたその音は、鐘の大きさからいってきっと小さな音だったことでしょう。音の鳴らないこのルリスタンの鐘は、そうした音を私に連想させるのですから、やっぱり今でも音を鳴らすという、その役目を担いながら、静かに今に遺されているのだと思います。
音についての様々な本や論文が出ています。音の存在の神秘や、音には神聖で特別な意味が籠められることなど、読むと引き込まれてゆく興味深い世界です。
あと数時間で今年の除夜の鐘が響きます。風向きで、ほんとうにかすかに聞こえてくることのある、どこかのお寺の除夜の鐘を、今宵は耳を澄ませて待とうと思います。

 

今年は蓮の三十周年の年となりました。店の移転とも重なり、そして十一月には三十周年記念といたしまして、展示会「裂のほとりⅩ -表具裂展-」を無事におこなうことができました。多くの方に、また、遠方からも御来場いただきましたこと、皆様に心より感謝いたしております。本当にありがとうございました。古い裂、心惹かれる裂と出逢うことには、やはり大変さが伴いますが、これからも自分なりに努力してまいりたいと願っております。皆様に支えていただき三十年間古いものの仕事を続けられましたこと、心より御礼申し上げます。また来年も、素敵な裂をご紹介させていただきたいと思います。
来る年が皆様にとりまして良いお年となりますことを、心よりお祈り申し上げます。
どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。

 

2023.12.31

古裂古美術 蓮
田部浩子