早くも一月が終わる。
せわしなさからうっかりしないように、節分の豆を早めに買っておいた。
柊も前の日までにはどこかで調達しておかないと。

 

二月三日の節分の夜には豆を撒く。ヒイラギに鰯の頭というけれど、なかなかそうも整えられず、うちでは鰯の頭がメザシの頭にと変身する。
ドアの上にくくりつけたら浄めのつもりで表に塩をまき、玄関の棚の上には古籠も置いてみたりする。
お粗末でも一応整えたような気分になって満足すると、冬の寒さの窓を開けて、ぱらぱらと豆を撒く。これで明日は春が来る。

 

                                                  
― 節分の籠のこと ―

 

節分の夜、竿の先に籠を伏せて掲げて鬼を追い払うという習俗がある。
籠は鬼の目よりも目数を多く持つので鬼を怖れさせ撃退する呪具で、魔が来たりて家へ侵入しようとしても、それを追い払う力があるといわれている。
籠は十二月八日や二月八日の事八日(ことようか)といわれる年中行事に同じく魔除けとして掲げられる。二月三日ではないこの時に、ヒイラギに鰯の頭を刺して門戸に掲げる地域もあるという。

 

この日はもともと山の神の去来する日だったらしく、この神が片眼であったことから邪悪な一つ目小僧の厄神が家々に来るといったことに発展し、一つ目小僧、つまり鬼の目よりも目数の多いものを用いて魔の侵入を防ぐ伝承が成り立ったのではないかとの説がある。
一方で、籠を掲げることの本来は田の神と山の神が去来するその依り代として機能しているのではないかという説、また、籠は篩をかけるものであることから、善神と厄神を選り分けるための道具とする解釈もあるという。

 

籠を高い場所に掲げる、屋根の上に伏せる、などというところに、何か天から降りてやってくるものの依り代と成っていることが自然と思われて古風な形をとどめているふうにも思えるけれど、習俗は様々な事柄が存在しあって、結果ほぼひとつの形になり伝承されてきたはずなので、その成立がひとつの事柄に限定できるといったことでもないのかもしれない。

 

高知県香美郡物部村では籠のことを靱(ゆぎ)と呼ぶのだそうで、この靱を大晦日や節分に、底を見せて門樫にかけて鬼を怖れさせるという。
今でもこちらでこの形が続いているのかわからないが、物部村の靱は側面上部には竹が使われており、底などのほかの部分はカエデ科のキネギという木で作られているとのこと。『方丈記』の鴨長明が記したと伝えられている『四季物語』の中にこの「ゆぎ」の言葉が見られ、「疫の神に封をたてまつり。かどのおさゆきをかけなむと。(略)」と、疫病神を鎮めるために靱が掛けられていたことが記されていること、また、平安時代後期の源師時の日記『長秋記』にも靱が門にかけられていたことが記されていることから、平安時代にはすでに籠が魔除けとして用いられていたことが認められると近藤直也氏は著書に詳しく記しておられる。

 

靱については、京都の大安寺所蔵の靱は蒲柳で編まれたもの、またほかでも白葛で編まれたものも存在するそうで、繊維(植物繊維)で編まれた靱を指したであろう「靱編」の言葉は、八世紀初頭にはすでに存在しているという。
物部村で編まれた靱も、これほど古に在った靱とその呼び名からして通じ合い連綿と伝わってきたものだとすれば、よく呼び名が変化せずにその地に遺り伝えられてきたものだと思う。籠が魔除けの呪具であることの根深い習俗、信仰は、日本においてとてもだいじな意味を持っているものと思える。おそらく平安時代よりもさらにもっと以前にさかのぼって魔除けを果たしていたのでは。

 

目数の多さというけれど、染織の位置から思って気になるのは、編まれたものの編み目が訪れる魔から身を防衛するということには、 編み目が「目」の瞳を指し示すことのほかに、“編まれ”て作られたものがとくに選ばれているその理由が、ほかに何か加わっていたといったことは無かったのか…などと深読みをしたくなる。
織りとは異なる編む(それも向こう側が透けて見えるような編み方の)手法での、何かはわからないが「編み目」であるからこそ魔を追い払えるといったような意義がどこか欠落していないのかなどと…妄想にとどまるのだけれど。

 

陣幕などの乳の部分に見られる星の形をした糸印や、護身九字(ごしんくじ)といって線(糸)を縦横直角に交差させて格子状にした糸印も、やはり魔を通さないという呪い(まじない)が籠められている。
一枚壁のように遮断するといったふうではなく、ここでも格子に交わる編み目状であることが、思えば不思議な気がしていて。星の形の糸印などは籠の編み目と似ている気もする。通り抜ける、編み目から向こうを見る、もしくは編み目を越して往復できたりする都合でも何かあるのだろうか。
籠は箱類とは異なり向こうが透けて見えること、ものを篩いにかけること、掬い上げることができることに籠の意味がある。その用の機能に守護や祓いの形を見いだした日本人の観念の層の歴史を、籠はその軽やかなかたちの中に不思議なほどたくさんうず高く盛り込んでいる。籠は節分で主役級なのだ。

 

節分の夜、できれば籠もご一緒に、玄関などに登場させてみては。
味わい深い、渋い籠をお持ちかも。
良いことのお呪(まじない)なので福がひとつ多く来てくれるかもしれません。
                                                                                                                                                                                            
  

2017.1.31

古裂古美術 蓮
田部浩子

参考文献

『ハライとケガレの構造』 近藤直也 創元社 昭和61年