濃茶地草花文紋章刺繍裂 17世紀

 

濃茶地草花文紋章刺繍裂 部分拡大

 

写真の「濃茶地草花文紋章刺繍裂」の作品について、いくつか記しておこうと思います。

 

この不思議な存在感のある作品は、通常の家紋に見られる輪(線の太さにより厚輪、太輪、中輪、細輪や、雪輪、竹輪、藤輪に象られたものなど、その種類は多数ある)の外側の山型部分までを作品全体としており、直径約10,5cmの完結した一点になる。経五枚繻子組織をなした濃茶色の繻子地に刺繍された文様は、輪の中心に八弁の白色の小菊を置き、それに対して天地左右に十字文に配した蔭萌葱の色合いの植物の葉と、同様に白色小菊に対して×状に位置するザクロの実に似た赤香色の文様が表されている。

 

刺繍の間にのぞく濃茶色の繻子地部分は全面に箔が施されている。経年による繊維の脆弱化により、経糸なり緯糸なりが部分的に脱落していることから現在は箔が斑の状態に見えているものの、輝きは一定した落ち着きがあり、作品におごそかで華やいだ感覚を持たせている。古い染織品との比較からこの作品の製作年代は17世紀の作と思われ、地裂の繻子地や繍糸から受ける時代の印象と文様の特徴など、慶長裂の時代感と通じるものがあるように感じられる。

 

紋章の構成は和でありながら西洋の面持ちであり、個人的にとても気になる点は、外側の山型のぎざぎざした先端が全てループ(輪)になって完結している点にある。植物の葉の配置とザクロに似た文様の使われ方から、ここにはクルス(久留子)が隠されているように思われる。ザクロに似た文様が×状に存在しているのは聖アンドリュークルスを意味しているのではないだろうか。京都の祇園守に通じる図案ではないだろうか。ザクロは復活と再生を象徴するものだそうで、この刺繍裂に見られる赤香色の文様がザクロを図案化したものであれば、キリスト教の信仰との関連が成り立つように思う。

 

初めてこの作品を目にした時、輪を一番外として見たために、この刺繍裂は衣装だったものの残欠か、もう少し大きな刺繍裂だったものを白い輪部分の刺繍を採る目的で、大雑把に裂地に鋏を入れてしまったのだろうかと思ったが、ルーペで確認すると、先端は裁ち落とされておらずループ状であった。つまり、このぎざぎざまでを見せる部分として製作を完結しているので、この不思議な紋章は山型までの範囲をもって全体といえる。

 

そのうちに、山型のぎざぎざ部分に似たものを、いつかどこかで見たような、霧がかかったような思いになり、気に掛けながら過ごしていた数日後、それは『信貴山縁起絵巻』の延喜加持巻にある、虚空を疾走する「剣の護法」がまとう衣、宝剣の衣だったことに思いが行き着いた。そう思ってこちらを見ると、何やら山型のぎざぎざが剣先のように見えてきた。中心に在るクルスを護るようにして、剣先が八方に向かってかざされているように見えなくもない。クルスを奉り、尊いものとして表されているようにも感じられる。

 

一方で、これは太陽を表しているのだろうかとも思ってみた。山型のぎざぎざには光の表現とも受け取れる放射状の筋がみられる。キリスト教には「天主教」という異名もあるそうで、「天」の文字はキリスト教を表すとも何かの文献で読んだ記憶がある。もしぎざぎざが太陽であれば、天(キリスト教)を示すために太陽を図案化したのであり、そのままキリスト教を表している太陽とならないだろうか。それであれば太陽の中心にクルスが在るふうにも見れる。

 

更に調べていけるのではと思えるこの作品、断定はできないが、以上の事柄から、これはキリスト教関係のもの、キリシタンの信仰に関連しているもの、キリシタンの武士が所有していた装飾品ではないかと思える。実裂は仕舞われて保管されていたようなコンディションの良さで、大変稀な染織品です。

 

クルスについて調べてゆくと、キリシタンの迫害に関する多くのことが記されておりますが、言葉に書けないほどに、胸が痛くなるものばかりでした。
同時に、信仰というもの、人間と信仰の間にあるもの、信仰から生まれいずる美術の力についても深く考えさせられます。

 

キリシタンの武士は出陣に際して、十字の印がついた旗をなびかせ、十字の模様がついた着物を着て、「イエズスの金文字の上部に金色の十字架がついた兜」を被っている者もあったといいます(参考文献1)。その光景を現実として想像してみた時、武士たちの現場をとり巻いていた密で張りつめた空気の凄み、十字の模様のついた着物をまとったというその切実さは、いかなるものであったろうと想像いたします。遠い時代のことだったとしても、流れ続く時間の中で確かに在ったその光景を、日常の中で思いました。

 

この度「青花の会骨董祭2019」に「濃茶地草花文紋章刺繍裂」を出品させていただきます。この作品は時代の染織品の中でも、これまで他に出会ったことのない特殊なものになりますため、今後の資料としてここに記しておこうと思います。
間違った見解や憶測もあるかもわかりませんが、それも含めて今後の参考と課題にできればと思っております。

 

クルスについて調べていましたら、江戸期の古裂の十字絣まで、何だかいろいろと思いが馳せてしまい、こうした十字絣にクルスを重ね見た人もいたのでは…などと思いました。どうであったか、今は知る由もないのですが。

 

よろしければ実裂を御覧いただけましたら幸いです。今によく伝え遺されてきたと感じ入る、心に響く美しいものです。

2019.5.20

古裂古美術 蓮
田部浩子

参考文献

(1)『キリシタン研究 第二部 論攷編』 松田毅一 風間書房 昭和50年 P.49参照