能装束断片裂 江戸時代

 

一年は本当に驚く早さで過ぎていってしまいます。
昨年の暮れになりますが、ご縁をいただいて、共立女子大学の「染織品保存修復実習」の授業に参加させていただく機会がありました。楽しかったその時のいろいろを、年明けには記したいと思っていたのですが、日を送る中で時間が取れないでいるうちに、とうとう今になってしまいました。古い裂を取り扱う自分にとり、染織品の保存修復を学ばれる学生さんとお話しをさせていただけることは、非常に嬉しいことであり、とても僭越なことでしたが、自分の勉強にもなりますので、有り難く授業にお伺いさせていただきました。授業をご担当の共立女子大学教授・田中淑江先生のご了解をいただきましたので、「蓮の道草」に記させていただきたいと思います。

 

学生さんには、自分の拙い経験と視点から感じてきた、古い染織品の見どころや、注意を払って見ておくべき点、また、古い染織品の持つ“美しさ”についてなどをお話しさせていただきました。
当日の授業では、江戸時代の能装束を通して様々なお話しにてお時間を使わせていただく運びでしたので、私は傷みがあり衽部分が欠損している能装束と、店の参考資料の能装束の断片裂や、鬘帯等をお持ちいたしました。
昨秋の2018年10月6日から11月26日まで、東京・渋谷区松濤美術館で開催された「林原美術館所蔵 大名家の能装束と能面」展では、桃山から江戸時代の能装束の名品が数多く出展されましたが、染織品を学ぶ上で、この展覧会を観ることは授業の必須課目だったと伺いました。私も楽しく鑑賞してきた展覧会でしたので、学生さんたちの間から「行きました」というお声が聞こえ始めたときは、私の緊張もだいぶほぐれてくれて、大学の授業という場に伺わせていただいた、この貴重なお時間を精一杯楽しもう、という気持ちになりました。

 

持参した十数点の染織品をお教室の机に並べ、学生さんには裂に直接触れていただいて、質感を実感していただきながらお話しを進めさせていただきました。内容はあくまでも古美術商の立場から、これまで古裂を取り扱ってきた中で気付いた事柄や、古い染織品に対する想い、植物染めの色彩の美しさについてなどです。田中淑江先生にお力添えをいただきながら、時代を経た能装束の断片の魅力と愉しみ方、その色についてなどをお伝えいたしました。

 

美術館ではどうしてもガラス越しに作品を鑑賞するので、染織品に手を触れて質感を感じ取るという、感覚的なことまでは知り得ることができません。染織の技法を知ることは、勿論とてもだいじなことではあるのですが、私は“感じ取る”という意識を常に持つということ、色彩に対する感覚もそうですが、そこから何かを感じ取ることの大切さや、手触りから学ぶ触覚の世界があるということを、この日お目にかかった学生の皆さんにはお伝えしたいと思いました。

 

授業にお持ちした能装束、唐織の作品には大きな傷みがあります。触れて動かすことで、多少なりとも傷みが進む部分がもしあったとしても構いませんでしたので、江戸期の能装束の絹の質感を、保存修復の実習を始められる学生さんに確認していただきました。「薄い、」「柔らかい、」「きれい!」など、自由な感想がこぼれました。

 

持参した作品は、美術館に展示されるクラスではないにせよ、江戸時代の美しい植物染めによる優れた作品です。美術館で鑑賞する、一級品で最高のコンディションの作品を観ることと、その対極にある、経年で傷んだ状態の同時代の作品も知っておくこと、その双方を観ておくことは、とても勉強になることと思います。経年を辿った染織品がどのように褪色が進み、傷んでゆき、どのように糸が脆弱になり繊維が朽ちてゆくのか、伝存することが困難な染織品の性質と宿命、染織品の保存修復の必要性、時間の流れが染織品に与える影響を目前に見て知ることは、染織の世界の学びに繋がると思うので、傷んだ染織品はその状態に於いても、とても意義深いものだと思えます。

 

美術館のガラス越しで、普段から最良の状態の染織品を鑑賞されている学生さんは、傷みのある能装束を大変興味深く御覧下さり、そして遠慮がちに、その都度質問を寄せて下さいました。私はいつも自分が古い染織品を見るときに、どの部分の何を見ているのか、また、個々のものをいかに見分けるかが大切といったことなど、自分なりの染織品との関わり方をお話しさせていただきました。学生さんが時折りノートを取りながら耳を傾けて下さることに、途中緊張して汗が出てきたり、刺繍が施された裂の裏面に、刺繍糸が渡っていないことを御覧いただいて、桃山時代と江戸時代の作品を比較しながら、時代ごとに異なる特徴が見られるといったことをお伝えしたり、あっという間に時間が過ぎてゆきました。

 

また、古い染織品に於いて私は「縫糸」の存在をとてもだいじに思っていることをお伝えいたしました。縫糸は様々な情報をそこに遺してくれていることがあるので、だいじな資料の場合、私はむやみに縫糸を取り除かないことをお話しすると、学生さんたちの表情がぱっと動かれて、そのことに興味を示されたことがすぐに伝わってまいりました。やはり保存修復を学ばれる皆さんでいらっしゃるので、「縫糸」の存在について聞き入って下さいました。

 

平面の裂地から形あるものへ縫い上げられる際に使用される縫糸は、その染織品と同時代に存在していた繊維品であり、衣服や袈裟、仕覆など、主体がその形状を成し得たのは、針と縫糸によるものです。縫糸は作品全体を語る(研究する)上で、とても重要なものと見ています。例をあげますと、染織品に裏地が使われていた場合、これまで私が作品を引き解いたものの中では、裏地と同系色の縫糸が使われていることがほとんどでした。このことから、必ずとは言いきれませんが、裏地が全く失われていても、ほんの数ミリ遺された縫糸の色から、その染織品の裏地には、縫糸と同じ色の紫色が使われていた可能性があるなど、もとの姿を推測できることがあります。

 

縫糸の持つ時代感を感じ取ることも大切に思います。また、別な裂地が使われたようには思えない箇所に、なぜかわずかに縫糸の残りが見られるなど、その作品が本来どのような形状をしていて、何に使われたものなのか等、その答を導き出すだいじな存在でもあります。縫糸は、もともと人目に触れる部分には使われにくい、役割的には表に出ることのないものですが、時代を経た染織品にわずかにでも遺された縫糸は、その作品の製作者が今の時代に伝えてくれているメッセージであり、製作者の「ものつくり」の意図、掬い上げないと消えてしまう、無言の伝言であるふうに、私には思えるのです。それに何よりも、古い時代の縫糸は、それ自体がとても美しいです。その染織品が生まれた時代に生きた植物たちが見せてくれている、遠くからの色彩です。ひとすじの縫糸にも、「色」が持つ美しさの力がそっと息づいています。

 

授業が終わりになる頃には、机に並べた染織品を囲んで、学生の皆さんと楽しく語り合いました。この日にお目にかかることのできた皆さんが、染織品の保存修復を学ばれることを眩しく想いました。日本に伝え遺された作品を、次の世代に、そしてまた次の世代へと長く受け継がれてゆくことを、心から願いながら、お若い皆さんの素敵な笑顔を見渡してしまいました。

 

後日田中淑江先生が、この日の授業についての、学生さんからの感想のレポートをお送り下さいました。おそるおそる拝読させていただいたのですが、大変驚いたことは、自分がお話しをさせていただいた内容と言葉を、どの学生さんも非常に正確に捉えて下さっていたことでした。レポートには自分がお話しをさせていただいた言葉が、ニュアンスが変わることなく、お伝えしたとおりに記されてあり、学生さんたちがまっすぐに、正確に受け止めて下さったことを、大変嬉しく思いました。
とてもご紹介できる枚数ではないのですが、学生さんの各レポートの中から抜き出させていただいたものを、少しだけ下記にご紹介させていただきたいと思います。

 

・「(略)3つ目は「縫い糸」についてです。修復実習では、染織品のもとの形をできるだけ変化させないように修復するということを学んでいます。これに関係することですが、今回お話しを聞く中で「縫い糸をむやみに取らない」ことが作品をもとに戻すことに繋がるということが印象に残っています。(略)形が全て揃っていると色やデザインなど見た目について目が行きがちですが、今回、裂をじっくり観察して、刺繍や縫い糸等、その時代の職人目線で作品を知ることができました。(略)」

 

・「(略)また、きものから得られるほんのわずかな情報でもそのきものの時代背景などがわかるということで縫い糸は絶対抜かないということに驚いた。縫糸から生地の色を推測できることもあるため、縫糸は絶対に抜かないということを学んだ。(略)」

 

・「(略)作品によっては少し作品を動かすだけで作品から粉のようなものが出てきてしまう作品もあり、目の前で作品が損傷していく姿を観て衝撃を受けた。実際にそこまで損傷がはげしい作品を観たことがなかったので貴重な機会だと感じた。(略)」

 

・「(略)化学染料でも綺麗に染まるが、植物染めの味のあるかんじや古いものの美しさは別格で特に、腰帯の刺繍が鮮やかでパッと目を惹く色味でした。植物染めは綺麗な色、だけでなくその中にも透明感や月日を重ねて出た深みなどを感じました。色彩の美しさが日本の美に通底しているとおっしゃっていて、きっと昔はこういう美しい色の草木や花があり空気が澄んで綺麗な世界だったのだろうなと思いました。(略)」

 

・「(略)私は、松濤美術館に行った際に、初めて本物の能装束を見ました。しかしそれは、ガラスの奥にあり、修復が施されている物なので、安土桃山や江戸の物とは想像しがたいものでした。しかし、実際に目の前で見て、触れて、時の流れを感じることができました。やはり修復前の能装束はかなりほつれがあり経年劣化は避けることができないのだろうと感じました。(略)」

 

もっと多くをご紹介させていただきたいのですが、ページの関係でこちらまでに。こうして感想レポートを拝読させていただくことができ、古いものを扱う自分の仕事が少しはお役に立てたのかと感じられて、椅子に座りながら静かに胸が熱くなったしだいです。

 

貴重な経験をさせていただきました田中淑江先生をはじめ、行き届かない授業を最後までお聞き下さいました学生さんに、今も心から感謝いたしております。
たくさんの励みをいただいたあの日から、早や一年が経ちます。
ご一緒させていただいた学生さんが、これからも古いものに関心を持たれて、染織品の保存修復を楽しく学んでいかれますことを心より願っております。
皆さん、楽しいお時間をありがとうございました。

2019.12.25

古裂古美術 蓮
田部浩子