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見事に染まっていました。
「裂のほとりⅨ -金沢にて-」を無事に終了することができ、東京に戻ると公園の木々たちがずいぶんと色づいておりました。不在にしていた5日ほどの間でも、季節が進んでいることがわかります。秋から冬へと移行して、冷たい北風が吹き始めるこの時季です。あの大銀杏が葉を落としてしまわないうちにと、ようやく時間をみつけて千葉の小湊鉄道へ行ってまいりました。無人駅の傍らに長い歳月佇んでいる、黄色く見事に色づいた大銀杏に逢いに出かけました。今年の秋こそ必ず行きたいと思っていた場所です。
小湊鉄道は千葉県市原市の五井駅から終点の上総中野駅まで、全18駅ある路線です。片道約1時間20分ほどだったでしょうか。起伏の少ないのどかな田園風景の中を走ってゆきます。小湊鉄道の懐かしい車両、エンジンに揺られて(電車ではなくディーゼルカーなので電線がありません。)、車窓を流れる里山の景色をずっと眺めてきました。時折トンネルの手前などで鳴らされる、警笛の音も昔の味わいで、素朴で力強い音を響かせて、列車はどんどん走ってゆきます。着く駅ごとに木造の駅舎が何とも好く、昭和の姿を変えていません。古いことに違いないのですが、これはもう、とてもモダンな世界に思われました。作り込んでいないことがよいのです。
やっと行くことのできた小湊鉄道。以前より沿線の昭和な木造駅舎の魅力を写真で見かけてはいたものの、Instagramにて拝見する四季折々の風景、衒いのない素敵な画像から伝わってくる場所ごとの空気感に、これはぜひ行っておかなければと思っておりました。
五井駅を出発してから暫くの間は、裂のことや、片付けなければいけない諸々の用事がちらちらと脳裏を掠めていましたが、いつしかそうしたことの全てが薄れてゆき、内面が空っぽになり、目に映る里山の景色だけを只々見つめていました。出張の新幹線では何かをし始めたり、すぐに寝落ちてしまうのですが、そうならず、列車にというよりも、自分が時間に運ばれているような、そんな時間のはざまにいるような感覚を久しぶりに感じられたことはとても良かった。気持ちが凪いで心に空き容量ができたような、実際の軽さが生じてくれました。どういう作用でしょうか。走るエンジンの音の波長などが合うのでしょうか?
車窓からは風に波打つ薄が陽に反射して、美しく光っていました。広々とした田園のどこかに、縄文のかけらでもありそうに思えました。赤い烏瓜が高い木の枝に絡んでいるのが見えました。きっと夏には人知れず、美しい白いレースの花を咲かせていたことでしょう。傍まで行ってみたいと思った、姿も紅葉も美しい木が遠くのあちらこちらに見受けられ、風情のある木造の駅舎は、途中下車したい駅が幾つもありました。しかし1時間にほぼ一本の運行ですので、五井駅に戻る時間のことを思うと降りることをあきらめたことは心残りです。
建物では、月崎駅の駅舎の隣に建つ、素晴らしく古く趣のある木造の小さな小屋。屋根から壁から、植物や花が絡まっている、この魅力的な建物に目が釘付けになりました。こちらの小屋は現在も機能しているように見えたのですが、どうなのでしょう。よろけるくらい素敵だった四角いあの小屋を、古裂の作業小屋にしたいと想像。室内には明治のガラス笠を付けた電球を下げて、古めかしくも愛着のある、裁ち板でこしらえた自分の作業台と、少し傾いたウィンザーチェアを運び込みたい。泊りがけになった作業の朝は、小屋に風を入れながらここで半熟の目玉焼きとトマトと美味しいコンビーフ、フランスパンに丸めたバター。熱々のコーヒーは365日欠かせないので、大倉のコーヒーカップも運んでこよう、などなど、列車が発車するまでの僅かな時間に、目も心も釘付けになった先の侘びた素敵な小屋に、猛烈に想像が膨らみました。おまけに思ったことは、残念ながらここは茶室には向かないのであろう、自分は好きでも列車の音がいつも聞こえる…などと思いました。それでも茶室にしてしまおうか。空想は続きました。下車が叶わず夢みる小屋の写真はのこせませんでした。そして、もともとの目的の上総久保駅の大銀杏に行き着いて、大きく深く深呼吸。少し陽が傾き始めた頃でした。
大きな一本の大銀杏は、上のほうの葉を落としていましたが、見事に黄色く色づいて、無人駅を明るく彩っておりました。夜は真っ暗になるのだろうこの場所に、長い歳月ずっと一人で佇んで風に吹かれて、この木の存在は特別です。この大銀杏はきっといろいろな物語をこれまで見てきたことでしょう。
上総久保駅では7,8人のカメラマンさんが、素晴らしい大銀杏と小湊鉄道を撮ろうと界隈に散り散りにいらっしゃいました。列車に乗っていても、沿線に何人ものカメラマンさんが離れた場所に待機して、走行する列車にカメラを向けていらっしゃるのが見えました。踏切りを待つ車の中からも、大きなカメラで通過する列車を撮影されている方もいらっしゃり、沢山の人に愛されている小湊鉄道であることが、この日あらためてよくわかりました。いつまでもこのままであってほしいと思います。Instagramにて小湊鉄道の大銀杏の素晴らしい写真を見ることができます。本当に素晴らしい大銀杏でした。
日暮れも近くなり、ここまでとして、帰路につく。本当は数冊の本を持って、どこかの宿をみつけて数日泊まってきたいなどと思い描きましたが、今はその時間は持てません。しかしながら今回出かけて、いつかその機会が持てたらと思いました。小湊鉄道の終点からもう少し先を目指すと小湊の海岸に出られるようです。
帰りの千葉駅ではこの日のお土産に、佃煮にされた蛤の串と、量り売りの煮豆屋さんでうぐいす豆を買いました。うぐいす豆はその色が好みなので、見かけるとつい購入してしまいます。ここでも「単色の美」、、見ているだけで愉しい、渋くてよい彩りの、色とりどりの煮豆屋さんのケースでした。
金沢展を開催させていただいてから、早ひと月が過ぎようとしています。
駆け抜けたような霜月でした。
間もなく師走がやってまいります。
*蓮の道草68は十一月に綴りました。
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無人駅に佇む大銀杏。
いつからここに。
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駅構内の建物。
北風をよけて中に入るととても暖かく感じられました。
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陽が翳ってきました。北風がつよく吹く日。
葉擦れの音、風の音、多くの自然音が聞こえます。
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改札口がないので周囲をぐるぐると歩きました。
銀杏を踏まずにここを歩くことは不可能、、
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日暮れ前の上総久保駅。
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五井駅に戻るために、乗り換えで里見駅に下車。
向うに見える木造の古い貨物車に心惹かれる。
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小湊鉄道・里見駅にある木造の貨物車。
時代を経た硝子窓は翡翠色めいていました。
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木の電信柱。里見駅にて。
何だか70年代の空のよう。
Late For The Sky と心の中で呟いてみる。
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キハが来ました。
にわかにカメラマンの気分。
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灯るライトのやわらかな色と光も好ましい。
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小湊鉄道。
またね。
2022.12.6
古裂古美術 蓮
田部浩子