虫籠と夢ほたる

 

いつも見ているケヤキの木が、数日前からようやく芽吹いてきました。
枝先にみせる小さな葉は、今はまだ錆朱色をしています。同じ場所に立ち並ぶケヤキの中で、今年はなぜかこの木だけが、なかなか芽吹かずにありました。ほかの木立はもうさやさやと、風に緑色の若葉を揺らしています。この錆朱色の葉もこれから日ごとに緑を繁らせてゆくでしょう。春酣です。

 

この春を振り返ると、まだ4月だというのに、何やらずいぶんと月日を経てきたような気がいたします。いつもどおりぱたぱたと過ごしていても、時間の流れ方が重苦しいものに変わってしまったからでしょうか。お正月の時には思いもしなかった状況です。ケヤキや道々に咲く花たちも、静かに佇みながらこの異変を感じ取っているかもしれません。

 

外出や移動の自粛を呼びかけられているこの現状を思うとき、昨年11月にとても久しぶりに出かけた海のことが、自然と心に浮かんできます。出張以外で一泊してどこかへゆっくり出かけるなどは、普段そうできないことなので、ずいぶんとリフレッシュできた海行きでした。読み終えられないとわかっていても、手元にないと落ち着かない本をいくつかかばんに入れたこと、元気と勇気のもらえる音楽もしっかり携帯、服装は、気分の上がるコートを着て、黒革の手袋をポケットに入れて出かけました。宿にしたホテルに荷物を置いてから、寄り道しながら海へ着いて深呼吸。海です、砂浜です、波の音です!

 

このコートはとくべつお気に入りのトレンチコートで、海行きのこの日にお初に着下ろしました。長年着ていた(ほんとうにとても長年!)トレンチの両袖が春にとうとう擦り切れてしまったので、そろそろ新調しないといけないかな、としんみりしていた時にすっと出会い、惹かれて求めたものなのです。両袖の傷んだコートは直しに出すと、袖口がきれいになってくれたので、こちらは仕事着にまだ現役でいてもらいます。

 

これだけ長く身に着けていたものから気分を移して、自分自身の外包みを新たにすると、何か自分の中にも風が通るような、年月の区切りといったものすら覚えました。そして袖口が擦り切れるまで十数年も着こんだその歳月を、新たに迎えたコートに重ねてみたとき、このコートの袖が擦り切れる時が来るまで、できることならそれまで自分も元気でいたいものだ、などという思いがふとよぎりました。もし先々まで元気でいられたのなら、トレンチを着た小さなおばあちゃんになって、やっぱり古裂をみつめていたいと思います。トレンチコートを着て、そのとき似合うマフラーをして、江戸期の色はね、などともごもご考えながら、どこかのカフェのテラスでコーヒーカップに手を伸ばしていたりする。でも、おばあちゃんにテラスは容赦なく寒い…。何だかちょっと笑えてきます。

 

衣服はどの時代にあっても着用者の生を包みこみ、時間や場所といった背景を伴いながら、着用者とともに服飾の世界を表現し続けます。「もの」は人のいのちよりも長いということは、骨董の世界が証明しています。古い時代から今に遺されたひとひらの断片裂も、それぞれの時代に在った人びとが自身を包み、身を護り、装い愛でた衣服類がほとんどです。衣服と着用者の関係についていろいろと考えを拡げてゆくと、衣服は着用者を語るものであることに行き着くように思います。

 

今から3年前になりますが、東京・品川の寺田倉庫G1ビルにおいて開催された、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館企画のデヴィッド・ボウイ大回顧展「DAVID BOWIE is」を観に行きました。音楽や映像、映画その他、どれをも知るほど私はデヴィッド・ボウイのことをそれほど多く知りません。でもこの展覧会は、必ず観たいと思っていました。様々な分野を超えて存在が特別な人。彼のことをそんなふうに思うのです。
会場で惹きつけられたものは、自分の場合は「衣装」でした。デヴィッド・ボウイが身に着けた、厳選されたステージ衣装、コスチュームが会場の各位置に配され、展示されていました。

 

個人的につよい印象を受けたものは、彼の母国である英国旗のユニオン・ジャックをデザインしたコートで、これはデザイナーのアレキサンダー・マックイーンとボウイが共同でデザインしたものだといいます。かっこいいなあ、とそのコートをこちらから、あちらから、と方向を変えながら眺めているうちに、こうしてあらためて見てみると、いつも解きものをしている裂たちの、日本の直線裁ちのシルエットとはずいぶんと異なり、洋の衣服のラインはかなり人の形をしていて、誂えた注文主その人自身を、つまり着用者の身体をリアルになぞっているのだなと思いました。

 

日本の衣装が展覧される場合、それは日本の直線裁断から成る衣服のかたちを観るのであって、そこに着用者の身体のラインを具体的に見ることはないその違いを何となく思っていたら、ふと「辻が花」のことが心に浮かんできました。辻が花染は室町時代中頃から桃山時代に盛行した絞り染めの技法を中心とする作品で、練貫地に縫絞りによって文様表現がなされ、そこに描絵や摺箔、墨の線描、刺繍等が施されている、辻が花特有の美を持つ中世の高雅な染織品です。

 

デヴィッド・ボウイのステージ衣装を観ていてなぜ「辻が花」が浮かんできたかというと、デヴィッド・ボウイは世を去り不在でも、伝え遺されている本人が着用したとわかる華やかなステージ衣装からは、デヴィッド・ボウイその人の面影が立ち昇るように感じられたそのことと、戦国の世に本人が着用したと伝えられる、美しい辻が花染の遺品が表装に使われた武将や武家の女性たちの肖像画と辞世の句の掛軸が、「衣装」がキーワードとなってその時思い出されたからです。

 

肖像画においては、辻が花染の小袖を着衣している人物もみられるのですが、皆日常着ではない最上の“ハレの衣装”を纏って描かれているそのことと、デヴィッド・ボウイ本人にとって最も「ハレ」の場であるステージで纏うステージ衣装、その“ハレの衣装”とが、何か自分の中で連鎖して同じ位置に並びました。どちらにおいても衣服あっての着用者ではなく、着用するその人物のために作製された、着用者あっての衣服ということに、服飾の本質を見たような気がいたしました。古い染織の世界から目を向けると、着用者と衣服の密接な関係について深く掘り下げて研究している埋もれた文献を探すことができたら、何かそこに、今までこぼれ落ちていた染織分野における思わぬ発見や、気付かされる一文がひそんでいたりはしないかなどと思うのです。

 

ほんとうは「蓮の道草37」の折に「デヴィッド・ボウイと辻が花 前編 -衣装からみた着用者の存在について-」とタイトルして、衣服と着用者との切り離せない関係性について思い巡らせていて、この52に記したようなこととその後編を下書きしていたのですが、日々の諸々でまとめられないでいるうちに、ひと月、ふた月、三ヵ月も過ぎてしまうと、もう展覧会のあった時期から時間が相当離れてしまい、その後そのままになり37は別なものを記しました。いつかのいつか、「デヴィッド・ボウイと辻が花」で下書きしていた服飾に思う内容や、「辻が花」について個人的に感じているある疑問点などを、ささやかに記せたらと少しばかり思っています。「辻が花」についてはその語源や名称の由来も未だに推測の域を出ずベールに包まれており、技法や意匠について以外は、その発生も曖昧な点の多く残る、ロマンということとは別に、何か引っかかりを感じる存在です。

 

新たに迎えたトレンチコートの袖口が、うっすらと擦り切れるまでの長い時間に想いを馳せたら、デヴィッド・ボウイと辻が花に漂着しました。
あちらこちらに話が及んで長くなりました。

 

不安の続くこの状況が、少しでも終息に向かうことを切に願っております。
今年も時間をみつけて出かけたいと思っていましたが、海はどうしているだろう。
きっと今この時も変わりなく、あの波音を立てて、遠く海風を吹かせているのでしょう。

2020.4.17

古裂古美術 蓮
田部浩子