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明治~大正 19-20世紀
そば猪口で、口縁部分の染付が下に向かうにつれ淡く暈しになっており、底近くには、咲いたばかりの小さな梅の花が、ふくらんだ蕾と交互にぐるりと描かれている文様のものがあります。梅の花は丸く素朴で、宮中に咲く高雅な梅ではなく、里山に咲いているといった風情の花になります。昔父が、その文様のそば猪口を手にして「これは夜明けの梅だ」と話してくれたことがありました。なるほど口縁の染付が、下に向かって淡くなってゆく様が、確かに夜明けを表しているように思われました。
父の話を本当としてよいのか、このそば猪口の文様がそういうものなのか、それが定かではありませんが、以来私はこのそば猪口の文様を「夜明けの梅」として見ています。一年を通じて出しては使う器のひとつなのですが、梅の花咲く季節になると、時折その文様に目を止めてしみじみと眺めてみては、ふとそこに父の声色を思い起こすことがあるのです。やきものにしても、染織品にしても、季節の文様はやはりその時季の心に届くもので、日本の四季や、時節の暦に気持ちを置くことは、日常の中のささやかな愉しみとして、日々の暮しにちょっとした節目と彩りを添えてくれるように思えます。
最近ご紹介させていただきました、画像の梅に鶯の解きものの、裂の色使いと文様が自分には「夜明けの梅」の表現のように思われました。この裂は藤色めいた墨色地ですが、裂地のところどころにその染め色を控えており、それが夜明けの空のようにも感じられます。地色からすると、全体の印象が重くなりがちなところ、この裂に表された白梅の木の姿が良く、梅の木に親しんで空を舞う鶯との間に静かな雰囲気が醸し出されていて惹かれます。裂を整えながら、時々手を止めてはこの文様を眺めたりしておりました。
人の暮らしに植物は優しく在り、植物も人と同じく時の巡りの中で時間を知って過ごしています。室内にいて、蕾だった花が、気が付くと咲いていたということに、時計が刻む時間よりも、もっと大きな時間というのか、重いものがゆっくりと移行するような、地球の自転の時間をそこに想ってみたりもするのです。
それを思うと、そば猪口の「夜明けの梅」の文様の、蕾の梅と咲いた梅、夜明け時なのかもしれない染付の暈しの表しに、そこにも時間の移行が表されているといえるのかもしれません。
豆撒きと柊の節分も遠く過ぎ、二月の終わりも見えてまいりました。
江戸時代の明和年間(1764-1772)頃までは、二月から三月二日まで振り売り(行商)で雛人形を売り歩いていたといいます。その後は雛市が立つようになったそうですが、丁度今頃の季節、町中などで雛売りの呼び声が道の向こうから聞こえてきたのでしょうか。夢のように想像いたします。
春まだ浅い二月から、季節は雛の月へと移ります。
草木張月の二月が過ぎゆきます。
2025.2.21
古裂古美術 蓮
田部浩子