風俗を見てゆけば、詳しくわからないなりにも興味をそそる場面があちらこちら描写されている。楽しい。
最初の山崎長者の倉の中から「鉢」が自力で転がり出てくるシーン、その一番右奥に見られる立派な高杯には白いご飯がうず高く山と盛られており、そのご飯の山の周りをぐるっと一周して、小さな皿におかずの菜が並べられているのが見える。そしてご飯の山にはお箸が立てられていたりする。
今では喪の際などにこのようにする風習があるけれど、古くはこれが普通で宮中などでも行われたのだそうだ。菜のものをご飯の周りに置くこのことを「おめぐり」とか「おまわり」と言うという

 

様々な階層の人びとがいて、興味深いところでは二巻「延喜加持の巻」に、おとなであるのに童形のなりをして僧侶の後を歩く複数の人物がいる。
ほかにも三巻で尼公が民家の門前に到着する、その道端に赤い祠があり、その横には球体のように丸い御神体らしき石が置かれていたりする。
敷地内の畑で青菜を収穫?する女性、洗濯や水汲みをする女性、暮らしの中で欠くことのできない時間のひとこまに、親しみと共感が拡がる。

 

 

クライマックスの場面、信貴山に身を置く命蓮の住房で再会を果たした姉の尼公は、郷里の信濃国から弟命蓮へ、懐に入れて持参してきた「衲」(たい)という“防寒着”であるらしい衣を手渡す。姉が弟へ丹精こめた手作りの品だ。
「山崎長者の巻」で見られる命蓮の衣には、やぶれや継ぎあてらしき裂片が描かれてある。

 

 

信貴山縁起絵巻においての『衲というもの』については、過去から様々な論議がなされてきたらしく、そのくわしい実体はあまりわかっていないよう。
命蓮が常に身につけていたこの「衲」はのちに破れてしまい、「鉢」が運んできた倉の中におさめられていたそうだが、命蓮と縁を結ぼうとする者たちは破れたこの衣の切れ端で御守りを作ったという。

 

絵巻の「衲」には、運針の糸目と思える縦方向に進むぐし縫いの縫目がみてとれる。
“防寒着”とするなら、数枚の布を重ね合わせて糸を刺した「刺子」であるのかどうか。
詞書には「…(略)太き糸などして、あつあつと細かに、強げにしたれば…(後略)」とある。

 

糞掃衣…刺納衣…何かそれらに通ずる背景や共通するもの、憧れが、信貴山縁起絵巻での『衲というもの』の意識下に敷かれていて連れ添われていないかなどと、仮に少し思ってみた。物語中、『衲というもの』とされた「衲」があえてモチーフに扱われた理由、「衲」がストーリーに組み込まれた理由が、何かほかにひそんでいるような気もするのだけど…
単に寒さを思いやった“防寒着”だけにはおさまりきらない、「衲」を登場させたことの、何かとくべつな暗示や裏打ちが存在していなかったかと、あくまでも仮の話のひとりあそびを繋げながら、「衲」に描かれた貴重な糸目を発展なくじーっと見つめて佇む。列の進行の妨げとなる。
絵巻の時代にはなおさら僧衣にかかわることには深く意味や信仰が伴っているはずでは、などと思ったり…

 

信貴山縁起絵巻における『衲というもの』のことについては、これから少しずつ調べたり、知ってゆけたらと思う。
また、展示されていた朝護孫子寺蔵の「金銅鉢」の厳粛な美しさはこわいほどだった。
会場を後にして鹿のそばへ歩きながら、何か漠然と平安時代は遠いなあ、と思った。

 

足を延ばした萬葉植物園では、小さな田圃の中でカエルがしきりに鳴いていた。
季節はそろそろ梅雨に入る。

 

古裂古美術 蓮
田部浩子

参考文献

・「風俗史より見たる信貴山縁起」 関保之助 『画説』第三十号 岩波書店 昭和十四年