中世の洗濯に関するものでは、それは僧侶階級になるが『多聞院日記』の中にみられる。
『多聞院日記』は、奈良興福寺の一角に存在していた塔頭のひとつである多聞院の僧、多聞院英俊が記したもので、日記は室町時代末期から始まり英俊の没後も近世初頭まで記述は多聞院の僧によって書き継がれ、三代にも渡って続いた長い日記であり、記録になる。
政治や経済上の記述が多い一方で、これは日記なので、日々の書き綴りの中にはうどん粉の虫除けの心得とか民間療法など、民俗学的な記録がみられるところが貴重な史料であるという。
『多聞院日記』に記された洗濯にかかわる研究論文*を読むと、英俊が洗濯賃を出して下級僧侶とその母親や妹に洗濯ものを命じたことなどの記録が取り上げられていて興味深い。
日記からすると英俊が洗濯を命じたものは、小袖、ホツケン、ツムキ(ワタツムキ、古紬)、モンメンヌノコ、柿ヌノコ、茶のシゝラ、夜着(クロキ夜著、モンメンノ夜著)、茶ノヨルノモノ、シキフスマ、モンメン、などがあげられており、これらの中でモンメン(木綿)をのぞくほかは、すべて解きほぐしと洗濯後の仕立て直しを要するものらしく、洗濯には「解きほぐし」と「仕立て直し」の作業も含まれていたことがわかると述べられている。
英俊に雇われた形の下級僧侶とその母親、妹には、洗濯のお礼として、おもにお米であるが米三升、柿十(柿十個)、母親には綿二十目、白米三升、黒米八升などを渡していたことが日記からわかる。また、洗濯代として二百文が誰かに支払われた記録もある。「天文十、十一、二十六 二百文坊主様より給了、洗濯之用也」。洗濯を頼んで賃金が支払われたといったことの記録になる。
洗濯はずいぶん古くから職業として成立していて、「正倉院文書」には写経生たちが着用した官給の浄衣を、写経所に就労していた女性たちが一人六、七文で雇われて洗濯をしている記録があるという。絹の法衣などは解き洗いをしているそうだ。
下級僧侶が洗濯のために、南に下っている記録もある。
「永祿十、十二,二 長賢房(下層僧侶の名前)ハ為洗濯南へ下了」とあって、多聞院から南に下ったところに洗濯できる川か泉などの水辺があったのだろう。
日記には十二月二日とあるので、素足や素手で水洗いしなければならない、もしかすると川に足を浸さなければならない、氷の寒さの冬場の洗濯はずいぶんつらい仕事だったと思う。
こんなこともある。
一五七〇年(元亀一)八月三日に申しつけた紬は、十四日後の八月十七日に出来上がって英俊のもとに戻ってきているのだが、洗濯に出したその紬は仕上がりがひどく傷んで戻ってきたのだそうで、英俊はそれを「用に立ち難い」と立腹している。
かんかんに怒っている英俊に対して、紬をだめにしてしまい、うなだれてしょげかえっているであろう下級僧侶。うなだれた側に同情したい気持ちが。
過去になるが、洗ってはいけない古い裂をうかつにも水に浸してしまい、もとの風合いからなにから、裂が全くの別人になってしまったという私の失敗が思いおこされるので。あのときはまいった。
また、一人の僧侶が亡くなったその形見として乳母に贈った品ものの中にタライがあることから、このときの洗濯時にはタライが使われていたとみることができるという。
タライが登場したのは平安時代になってからというが、タライや曲げものの水おけはそうとう古くから庶民の生活の中にあった道具で、平安時代末期の『扇面古写経』などにもみられる。水を汲んで洗いものをするのに必需なものだから、形見のタライはとても大切に使われ続けたに違いない。
江戸時代より前のはるか昔の洗濯についてを思うと、最初に記した「水」に気持ちが向かう。古の人びとであれば、山から流れくる川の水、その下り来る水の勢いにさえ、山にいる神の念といったものを感じとったことだろう。
一体その頃とはどんな空気が人とあたりをとりまいていたのだろうか。
でも思うのは、耳に聞こえる水の音や葉擦れの音、波の音や風の音、今も自然が聞かせてくれる波長の音は、古代とかわりがないはずと思えるのだけれど。
過ぎてゆく時代の中で変わるものは何なのかなと思ったりする。
道草に洗濯のことを記している間に、写真の紬の端裂と出逢った。
藁葺屋根の家がある先に小さな川が流れている、ただそれだけの風景。
いい場所だなと思う。
2016.12.9
古裂古美術 蓮
田部浩子
参考文献
・*「中世奈良に於ける風呂・上水・洗濯について ―中世奈良の研究2― 」 伊藤鄭爾
『建築史研究』15 彰国社 1954年
・「多聞院日記の民間療法」 桑島禎夫 『民間伝承』第二十四巻 第七号 六人社 昭和三十五年
・『洗う風俗史』 落合茂 未来社 1984年
・『日本洗浄文化史』 執筆 上野壮夫 落合茂 花王石鹸株式会社 昭和46年
・ 「家事の近世」 小泉和子 『日本の近世 第15巻 女性の近世』 林玲子編 中央公社 1993年