先日、江戸期の夏衣の肩衣(かたぎぬ)を洗いました。大変薄く繊細な織物で、経糸にはひじょうに細い絹糸、緯糸はとても細い手績みの麻(おそらく大麻)が使用された、手触りしなやかな捩り織りです。経年の傷みが目立つ肩衣ですが、ひとことでは言い表せない青味のある薄鼠色の色合いと、涼しげな質感に惹かれて仕入れました。色名では京鼠に近いのでしょうか。でも、もう少し深いような。水に濡れた状態では、青味の色彩が前面に出るようでした。
肩脇の芯(竹ひご)も折れてしまっており、全体のコンディションから洗うことを迷いましたが、傷んだ部分の織りの様子が能装束の水衣(みずごろも)を思わせて、織糸がゆらめいていて、その面白さから、もう少しきれいに手入れしたく思いました。丁寧に押し洗いをして乾かし、整えると、傷んでいることに変わりはないのですが、江戸期の時代感までは洗い流されず、もとの染め色のニュアンスが少しでも甦ってくれたような気がしております。
この肩衣はおそらく今から170~200年ほど前のものと思えるのですが、古裂の仕事に携わる中で時折思うことは、古い時代の染め織りの美しい世界が現代まで伝え遺されている一方で、私たちが身に纏う現代の衣服である洋服が、人の手と時間によって100年、200年先にまで運ばれてゆくことがあったとき、時を経た傷みがあるにせよ、そのものから美しさを感じとり、手元に置いて、なお愛でたくなるような、そういった洋服が作り継がれて、これからも大切に遺されてゆくのだろうかと、ふと思う時があります。日本人の衣生活において、日常に着衣する衣服の歴史は、日本が近代化する中できものから洋装へと移り変わり現在に至りましたが、今私たちが身に纏う洋服は、この国でどのような意識を持たれて未来の時代に遺ってゆくのだろうと、古裂の世界がこれまで辿ってきた道のりと透かし合わせて、おぼろげに思うのです。
直線裁断の衣服であるきものは、着用者が替わるなどして機会があるごとに何度も引き解かれてきました。もとの素材の形に戻った布地は、あらたに別なものに仕立て直され、様々なものへと転用されて現代まで遺されております。古裂と称される布地のほとんどは、伝来を持つものや、染織史に語られた一部の作品以外はもとの形を変え、小片へと姿を変えながら今に遺されております。そしてそれらの布地は様々な階層であれ、人びとの心と暮らしを彩り、ハレの日に、ケの日に、もとの着用者が袖を通した衣服だったものたちがほとんどです。布や繊維製品は長い歴史の中で大変貴重なものだったため、小さなかけらになるまで慈しみ、活かされました。
曲線裁断の洋服はきものとは異なり、引き解かれて仕立て替えをされることは、布地が貴重なものとされなくなった現代では、日常あまり多くあることではないように思われます。きもので過ごされる方以外の現代の日本人の衣服は一般的に洋服であり、繊維製品はこれだけ日本に溢れかえる時代になりました。
古より衣服や繊維製品は人間が生存する上で欠かせないものであり、身体を保護して体温を快適に保ち、装飾を楽しむ流行の最先端をゆくものへと発展するなどして消費、消耗されるものではありましたが、消費する形そのものが変化して、着用できる形のまま処分されてゆく現代の洋服と、はぎれになるまで布地としての用を担い、愛でられ遺されてきた、古裂が歩んできた道のりとでは、「もの」に対する人の想いにも、精神にも、どのような変化が起きたのだろうと思うときもあります。
江戸時代の衣服や染織品に触れない日はない中にいて、時代の裂を引き解き、水洗いをして乾かし、ほつれ等を整えてアイロンをかけ、そうしてようやく店に並べるその一連の作業を続けていると、すべて手縫いによる、いくつもの時代を手入れされながら遺されてきた、日本の衣の古裂の世界と、既製品の中から自分に合うサイズを選び、買い換えることを繰り返してゆく現代の洋服の在り方とでは、そこに繋がりが見いだせず、通じ合うものがないかのように思えてしまう時もあるのですが、古から途切れることのなく続いてきた日本人の暮らしと文化の本質には変わらないものがあるはずなので、それは素材の美しさだったり、丁寧な縫製であったり、その時代の感性が映しだされる人間の「衣」の世界として捉えるならば、古裂の世界と、今の服飾の世界とが、全く切り離された別世界のものというわけでもないのだろうと思ってみたりもするのです。
江戸時代には「三つ物屋」、「三つ物売り」という振り売り(行商)の商いがあり、衣服の表と、裏と、中綿の三つに分けて売ることからそう称呼されたらしく、古着の異称であったといいます。こまかな裁ち落としの裂など、小物作りや継ぎあてに使えるものも振り売りして庶民の需要に応えていたようです。思えば江戸時代の三つ物屋と同じことを続けている私は現代の三つ物屋であり、心惹かれる古い裂を引き解いて、一幅を、もっと小さなひとひらを、時代の草木染めの色彩の美しさと織物の魅力を人へ、時間へと繫げています。そうした仕事の中で現代の洋服を想うと、洋服のいのちといったこともうっすらと思われて、同じ日本の時間の中で繋がる服飾の古裂と無縁ではないように感じられてくるのです。
古いものを仕入れて店に並べるまでの作業の中、時代の縫目を日々目にしていると、染料になる草木を採取した人、気の遠くなる糸作りの手仕事をした人、染めや織り、縫製、そのどの人においても“最善のものをつくろう”という意識が根基に置かれ、仕立てられた形あるものに心が在ったことが、古い作品から感じ取れることが度々あります。製作者が無心に針を進めたその時間は消え去っておらず、縫目に人の力が遺されており、そこに製作者の時間が固定されていることを目で知り感じるのです。そして人間は「ものをつくる」という営みを、掠れゆくほど遠い時代からずっと続けてきたことに気付かされます。
「もの」には運よくたまたま遺されてきたものもあります。しかし伝え遺されてきたものには、そこに必ず伝え遺そうとする人の精神と想いが宿るもので、その精神に護られて「もの」は受け継がれてきております。受け継がれてきたものに籠る人の心を打つ力、伝え遺されてきたものたちに共通していることは何なのかなど、とりとめのないことを想い巡らせながら、時代の縫目をみつめます。今はまだ手に入る江戸時代の染織品も、未来の100年、200年後には、どのように篩にかけられ遺されてゆくのでしょう。そうしてみると、古裂も、現代の洋服も、生まれた時間に時差はあっても、100年後、200年後に遺されてゆくものとそうでないもの、その歩みを同じにしているのかもしれません。朽ちて消滅してゆく宿命の染織品、繊維製品を資料化して保存してゆくという意識は、今の時点でとても必要なことであり、また、そうしていかなければこれからの未来に古い染織品も、現代の最先端のモードも伝え遺せなくなります。古美術、骨董の世界においては染織の分野は少し特殊な位置にあります。やきものと異なり、時代の染織品は保護なければ朽ちて失われてゆく性質のものです。古い裂に愛着を持つ人たちが、時代の染め織りを先々に伝え遺していってくれることを願っております。
そのうちに日本における洋服の誕生とその未来を繋げることに重点を置いた資料館が、数多くできる時代もやって来るのかもしれません。衣、繊維、色彩、デザイン。古裂も、洋服の布地も、糸として、衣として、色彩として、テキスタイルとして、時代の両端の視点から御覧いただければ、服飾を学ばれている学生さんたちにも、古裂の存在と世界を新鮮に愉しく御覧いただけるのではないかと思えます。古い裂のほんの入口、裂好きの古裂古美術 蓮という小さくてささやかな店屋が、古い裂に興味を持たれている方のほんの入口になれるとすれば、甲斐あるうれしいことです。古い染織の世界は深くて美しい大海原です。
この江戸期の肩衣も傷みがありながら、ずいぶんと長い間旅を続けてきました。蓮にいてもらう間は引き解かず、江戸期の姿のまま、肩衣の姿のままでいてもらおうと思います。時代の染織品は時間の舟に運ばれて、姿を変えながら、ほんとうに長い間旅を続けてゆきます。きっと洋服も、今後何百年先まで遺される時がやってくるはずです。人の身体と魂を包む「衣」の存在、ひとひらの姿になった古裂たちが人びとの衣だった時を経て登場した、日本における洋服の未来とそのゆくえに想いを馳せながら、自分と古裂との時間が水のように、自然に流れていっています。
2021.4.16
古裂古美術 蓮
田部浩子