しとしと梅雨の季節になると、夜見たユリの花を思い出す。
西洋のユリではなくて、日本の真白いテッポウユリだ。
この時期になると、よく玄関に活けてあった。

 

夜の玄関は子供には異空間。
一人ではこわい場所なのに立ちこめるユリの匂いに気をゆるし、花中の黄色い花粉を下からじっと見上げたりして、夜の玄関でこっそり遊んだ。
意味も無く靴をはいてみたり、ベルのような釣鐘形のユリを、こちらから、あちらから、と飽きずに眺めた。
そのうちに、コッコッと夜道を通りゆく人の靴音が聞こえてくると、夜のこわさも手伝って、ぎゅっと息をひそめて靴音が遠のいてゆくその音を、耳を澄ませて追いかけた。もう聞こえない。あの坂道を、降りたのかな。

 

真白なユリの傍にはつやつや光る、真黒な昔の電話があった。
まだ小さくて、電話の高さに全然手が届かない。
テッポウユリと黒電話がくっきりしていてきれいだと思った。

 

近くにあった畑の脇には茜色したオニユリが自生していて、これもどういうわけだか雨上りの湿気た夕暮れ時に、赤の長靴をはいて一人で見に行った。
オニユリは、自分よりも背が高かったような記憶だけれど、違ったろうか。
畑の土の黒さとオニユリの色の濃さが、夕闇にもっとずっと濃く見えた。

 

ユリの語源は、「揺り」、「ユスル」、
ゆらゆらと風に吹かれて揺れる、その花の様からきているという。
やっぱりベル。

 

揺り、ユリ。
夕闇に高く咲いていた何本ものオニユリは、揺れていなかったように思う。
夕暮れだったから、風が凪いでいたのだろうか。
ユリは夏の花。

2015.07.19

古裂古美術 蓮
田部浩子