“をさな”と“おとな”

 

中世の子女教育に於いて、裁縫技能を学ぶことは“美しいものを作製し完成させる”という美的な目的に向かうことで重ねる精進と、その精進に向かう心の在り方の学びであり、それは「茶道」や「華道」とも相通ずる「道」の精神の上に、教える側も、教えられる側も心を置いていたことが、服飾研究者の方々の研究論文の中に散見される。
また、そうした意識が教育根底にあった中世に於いての、子女が裁縫の稽古を始める開始年齢についても考察は及んでいる。男子が学芸の就学を迎える年齢の頃(概ね七歳頃)、女子もそれに伴い、様々な学芸教育が始められたというが、裁縫の学びは早い頃より教育が始められていたことが容易に考えられるという。

 

教育史学者の尾形裕康氏は、平安時代の家庭教育を研究される中で、延喜式巻三十一にある記載とそのほかの記録とを合せて考察され、平安時代の男子の成年禮は満十二歳をもって転機とし、その年齢以前を「をさな」、それ以後を「おとな」と分け、以降成人の取り扱いをしたことなどを論文(*1)に示しておられる。そして教育的に転機を迎えるというこの時期に意味を置きつつ、男女それぞれの場合を顧みながら、女子の教育についての考察が進められている。

 

平安時代の裁縫教育を見るに尾形氏は、「女子が裁縫の稽古を始める年齢が、何歳頃であるかに就いては、これを論定にする足るべき的確な資料がない。」(*2)とされるとともに、稽古の開始年齢についての的確な資料を見出しかねるのは、裁縫が他の諸芸と異なり、生活に必須な女性の特技であるため、上層、下層を問わず、一定の年齢になれば稽古を授けられたので文献に見られることは特異な場合と見るべきだろう、との言葉を続けておられる。そして裁縫技能の学びは上層の女子に限られたことではなく、庶民層、いずれの階層に在っても、家庭に於いて習得は早くから重要視されたことが推察されるという。
裁縫の学びの根底を占める精神性の存在を思えば、平安時代には児童の早い頃よりその習得が始められていたのではといった推察も、背景に則して違和感なく浮かび上がってくる。大きく柱である精神性と、それに裏打ちされた技能との調和の求めこそが、裁縫に於いての美と創造であり、「道」であるのかと、想像する。

2015.07.19

古裂古美術 蓮
田部浩子

*1.
「女子成年禮の教育的考察―平安時代を中心として―」 尾形裕康 『野間教育研究所紀要第一号』
 昭和二十二年

*2.
『中世の芸能教育―裁縫と躾―』 同  野間教育研究所紀要第六号 講談社 昭和二十六年