一月が終わると寒さも底。
節分が近づいてくると、そろそろ豆を買っておかないとと思う。

 

江戸時代にはあらゆる業種の行商が町中や家々を巡っていて、季節の時々に必要とする品目や、季節に関係なく商われる売りものを荷ってきては、いたるところで売り歩いたという。
商いに関わる古川柳からは、行商の業種や売り歩きの業体、呼びかける売り声の詞(ことば)などを知ることができ、庶民の暮らしぶりのリアリティと、暦に見られる時季や節目がいっぱいに感じられてとても面白く、行商の描写を軸にして江戸時代の時間の中へ引き込まれてしまう。
行商は、天秤棒の両端に籠などを提げて売りものを荷い、ゆっさゆっさと振り歩く姿から「振り売り」の名が生じたという。

 

柊売りなずなの時は髪を結い(明元亀1)

 

この明和元年の柳句は、節分前にやって来た柊売りの姿を見て詠じられたもの。
「なずなの時」のなずなとは、お正月の七草の前日に売りに来たという、薺売り(なずなうり)のこと。
柊売りの人物は、この柳句の詠み手が正月六日に見かけた薺売りと同人だったようす。薺売りの時はまだ松の内で、お正月らしく髪を結いあげていたもよう。
今度は柊売りでやって来たその人物からは、時節に応じて兼業、兼売する庶民の暮らし方と実生活が想像できたり、同人と気づいた側の、「おや?」と思った心の動き、日々を送る中での小さな出来事が、飾り気なくあたたかく映し出されていてほのぼのする。商いとしては、柊売りは赤鰯二本と豆がらと柊のセットで売られていたようで、その売価は幕末の価格で八文であったという。売り声は「豆がら、柊、赤鰯」だったとも。
薺売りに関する柳句の中にはこんなものもある。

 

薺売りすれちがい行く緋の衣(一四〇27)

 

薺売りは蜜柑籠などに摘み草を入れて売り歩いていたようである。
この句にある緋色の衣というのがどのような衣服かはわからないまでも、
籠からのぞいた摘み草の、初々しくやわらかな若草色と、私たちが知る江戸時代の紅花染の色を思わせる緋色との対比が、道行きにちらちらとかすめて早春を感じられ、きっと私も振り返ってしまうだろうなと思ったりする。

 

江戸時代の振り売りでは、三つ物屋と呼ばれる裂売り(小さな裁ち落としの裂や半端な解き裂、古着など)にかなりの需要と人気があったといい、これについては、また別な機会にこちらに載せてみたいと思います。
もし時代にゆけるならば、三つ物屋が振り売りにきた町角で、私も江戸時代の女性たちに混ざりたい。とりどりの裁ち落とし裂をあれこれと選りながら、「これでは小さすぎて…」などと、売り人へなのか、独り言なのか、わけもなく口をついてしまいそう。紅唐桟の裁ち落としだって、もしかひらりと見つかるかも?
継ぎあてに使えるくらいの、寸分が。

 

節分の夜、窓を開けて小声でぱらぱらと豆を撒けば、今年も変わらず出来たことの感謝で気がおさまる。
江戸のその柊売りは、今より少しだけ春めく日和に、次には桃の花売りで姿を見せたろうか。
豆まきが終わると、翌朝はもう立春。
春は名のみ。でも春はきっと、少しずつ身支度をしています。

2016.1.25

古裂古美術 蓮
田部浩子

参考文献

・『江戸の生業事典』 渡辺信一郎 東京堂出版 1997年