節分に 浅葱紬地豆絞り裂 蹴鞠とくくり猿 ともに江戸時代 

 

 

お正月の一月が早くも過ぎて、今日は節分です。
今年は二月二日が節分という、何やら珍しすぎて覚えのないことと思っていると、このようなことは一二四年ぶりなのだと今朝のラジオで聞きました。少しだけの柊も用意でき、陽の暮れた夕刻には豆まきをして、一応例年通りのことを済ませた気持ちになるのです。明日は立春、暦の上ではもう春です。まだまだ北風吹く寒さ本番の二月は、東京でも雪の降る日もあると思います。水分の少ない雪であれば、ピーコートの腕を曲げて雪を受けると、固く小さな雪の結晶を見ることもできます。小紋のような、雪印のマークのような、まさしく天から白く清い花が降る。しかし、たいていはころころと転がるほどしっかりとした雪の結晶には行き当たりません。魅力的です。雪の結晶の美しさ。

 

私は一年の中でこの静かな二月の月が一番好きで、北風の吹く音などが聞こえてくると、それまでしていたことの手を止めて、窓の外を眺めます。自然の音は何と心安らぐのかなどと思います。そしてこういう北風の強い晴天の日には、決まって海に行きたくなります。時間をかけて砂浜を歩くのはとても気持ちが整います。そして、こういうことは出来ないかな、などと、あれこれアイデアにも届かないことを思い描いてはただ歩く、ただ歩く。そのうちに時間を取って出掛けられたらと思います。今年こその思いがけないコロナ禍の収束を願うばかりです。

 

街路樹の桜並木の桜たちは、枝先の花芽が目立ってきました。
二月のこの時季は木々の枝先が、遠くから見ると何となく色変わりをしていることがうかがえること、今度御覧になってみて下さい。木々たちの様子が少しずつ変化してきています。二月はそういう季節で、辺りはしいんと静かで夜の闇もとくべつ深く思えるのですが、何か気配がしているというのか、大気がゆっくりと変化をおこしているような、静かに何かが動きだしている良い月に思います。節分と闇の深さ。夜の物音。春酣もよいのですが、春がまだ折り畳まれている、でも確かに訪れている、そんな淡さがよいのです。

 

早春、北風、海とここまで書くと、昔の二月に訪れた逗子のなぎさホテルの木造洋風の佇まいを想います。昭和の終わりに閉館されてしまいましたが、今もずっと心に灯る、それは素敵なところでした。きらきらしている素敵さとは異なる、モダンさと品格のある、そして温かみのある落ち着いたホテルでした。当時は時折り雑誌に紹介されていたりし、どうしても泊まってみたく思い、寒い二月に出掛けたのです。もう今はあまり語る人も少ないのか、インスタグラムで引いてみると、10件ほどしか投稿の記事がありません。古裂古美術 蓮発行の最初の小冊子『裂のほとり』には、こっそりとささやかに、逗子なぎさホテルに関係する小文をしたためました。憧れていたホテルに宿泊した遠い日の記憶は、自分の中ではとてもだいじで、初めて自分が編んだ小冊子に何だか刻んでおきたい気持ちだったのです。

 

昔からのがんこなこだわりで、静かな二月になぎさホテルへ泊まりに行くのだという夢は叶えられましたが、湘南道路沿いの海辺に在った昭和のホテルは遠い昔に姿を消しております。もし今もあの逗子なぎさホテルが在ってくれたなら、解きたい古裂と和鋏と数冊の本とを持って籠りたい、そんなふうに空想してしまうのです。
いつも二月になると、海と逗子なぎさホテルのことを記してしまいます。
記憶は人の心の中に色彩をもって在り続ける。そんなことを想った今年の節分です。
とりとめのないことを書きました。

2021.2.2

古裂古美術 蓮
田部浩子