蓮の道草 #50

海へ!

鳳凰のような雲。

 

海に行くなら思いきりシーズンを外して、人を見かけないくらい、賑わいのない海辺がいいのです。
実際にはなかなかそこまで望めませんが、冬の初めや早春の、北風のつよい海に行くのはいいものです。ずいぶんと出かけていなかったので、この春頃から海に行きたいと思っていました。あの波音を聞くには、遠くから水平線を眺めるのではなく、ちゃんと砂浜を歩きたいのです。

春頃から脳裡に浮かんでは消えていった、私の海行きでしたが、先月の11月にどうにも波の音が聞きたくなり、今行かなければ年内はもうゼッタイに行かれないぞと、カレンダーの予定表を上目遣いで暫く眺め、よし!と急な日取りで海に出かけました。

日帰りで行けるところなのですが、今回は帰りの時間を気にしないでいたいと思うし、一泊してこよう、と思い立ちました。いつも出張で動いていても、仕事から離れたことで、時間を取ってゆっくり泊りがけで出かけるといったことは、滅多にというか、出来ないにひとしい過ごし方なため、この海行きは、かなり自分で凧の糸をパチン、と切った感がありました。一日だけ、パチンします。空気に向かってそう言って、いそいそと身支度をはじめました。

海が好きで、ずいぶんと若い頃は、毎週末海にでかけておりました。
江ノ電の、住宅の間を走るスピードも、各駅の、木造の匂いのする感じも妙に好くて、雨降りのお天気でも出かけて、灰色の空の海もいい感じ、などと思ったりして。当時流行のウォークマンを持って、一日中海の傍にいたりしました。今思うとよく寒くなかったなとか、遠かったのに、よく毎週くたびれなかったなとか、でもそれが若さのしるしなのですね、きっと。

朝住まいを出る時、東京は曇り空でしたが、お昼を過ぎた頃から空が明るくなり、陽がさしてきました。宿にしたホテルは高台にあり、見晴らしのよい大きな窓からは、広々とした青い海原が見渡せました。眼下には高校の校庭がのどかに見えて、お昼休みなのか少年たちが、まばらにサッカーをしていました。空を見上げると二羽の鳶が羽を停止させて、何やら紙ひこうきのように長い間空中を旋回していました。

滅多にないことの、一泊の海行きには、読みきれないとわかっていても、読みたい本数冊と、複写を取ってきてある染織関連の文献、それと住まいに飾ってあった小さな花も2輪ほど、紙にくるっと巻いて、萎れないようにしてかばんに忍ばせました。そんなに遠出でなければ、これが出来ます。ホテルのコップに花を挿して、部屋にちょこっと置いておきます。あるとまるで空気が異なります。持参のお菓子はお気に入りの小さな缶に入れて、これもかばんの奥にもぐり込ませて。服装は、気分が上がるコートを着て、黒革の手袋をポケットに入れて。元気と勇気のもらえる音楽も、忘れません。到着して荷物を置いて、寄り道をしながら、ようやく海へ向かいました。

海までの道をてくてくと歩く。海が近くなると、何だか早足になってきました。
小さな横断歩道を渡れば、すぐに砂浜です。ここは奥行きのない砂浜ですが、嗚呼、やっと来ました、海ですーっと目をしばたたかせて、深く深呼吸をして。
そのままずっと海からの風に吹かれて、ずっと海だけを見つめて、ずっと波の音と海風の音だけを聞いていました。なんていい音。なんて複雑な。一体どれだけの音が重なり合って、このザザーンというひとつの音に聞えるのでしょう。

ずっとずっと、繰り返し聞こえてくるのは、寄せては返す波の音。波の音は、人の心にいろいろな作用を与えてくれるように思います。気持ちの中に残っている、ささくれのような小さなことをなだらかにしてくれる。引く波音が、持ち去ってくれる。自分の気持ちがだんだんと調律されて、心の襞が整ってゆくのが感じられます。風の音、海風も同じです。自然音に秘密がありそうです。

午後の傾く陽ざしの中、海辺に犬を連れてきている人、近場の学校帰りと思える女子高生は、4人でふざけ合っていました。何を話しているのか、カップルも海を見ながら楽しそうに笑い合っていたし、海辺がお使いの帰り道のようで、スーパーの袋をぶら下げて向こうの砂浜から歩いてきた男の人は、ずうっと先の砂浜まで歩いてゆきました。海からサーファーも上がってきました。
希望どおり、人気の少ない海に来ることができ、海の彼方を見続けて、波の音を、夢に見そうなくらい耳にして。時計を見ると、2時間の間、ずっとそうしていました。
自分の心がとても静かで、凪いでいるようでした。

こんなときに思い出すのは、昔逗子に在った「なぎさホテル」のことです。
なぎさホテルは1989年に閉じてしまわれたのですが、昭和の木造建築の、格式があるのに格式張っていない印象の、温かみのある、本当にとても素敵な昭和のホテルでした。小さなホテルで、宿泊した部屋にお風呂はありませんでしたが、洗面台や戸棚の造りがぐっとくる好さでした。磨かれた昭和のモダンを感じました。今のようにインターネットのない当時、雑誌でその品のよい素敵さが幾度も紹介されていて、憧れが募ってどうしても泊りたく思い、20歳そこそこの私は背伸びをして宿泊した想い出です。廊下に敷きつめられた赤い絨毯が記憶の遠いところで灯る、その名もゆかしい、逗子のなぎさホテルです。

蓮の最初に編んだ小冊子『裂のほとり』の中に、このなぎさホテルのことを書いた小さなお話しがあるのですが、ほんとうに、もし今もなぎさホテルが在ってくれたなら、しみじみと、いくつになっても、そしていつまでも愛着を持って、かなしいとき、うれしいとき、時折り泊まりにでかけただろう、そういう大切な場所にできたと思います。ホテルの庭の、草花が植えられた所にも、白い木の柵があった記憶です。昔の名糖牛乳の牛乳箱に描かれてあった、白い羊のマークに似ている、レトロな白い木の柵です。

ある時、なぎさホテルにまた行きたいと思ってお電話をしたところ、フロントの方が「ホテルを閉じることになりましたので、その日のご予約はもうお受けできないのです。」とお電話口で伝えられたことがありました。まだ若かった私はその時に、え、残念…と思っただけにとどまってしまったのですが、もし今の自分であれば、予定を押してでも、さいごのなぎさホテルに泊まりにいくだろうなと思います。(間違いなく満室で宿泊が取れないと思いますが。)そして淋しくなって、なぎさホテルの佇まいに、きっと涙がでるかもです。年齢のせいばかりでは、きっとなく。

古き良き昭和の木造建築が醸し出す、建物から薫る上質で文化的な気配は、良質の時間を積み重ねてきたその年月と、そこに関わる人の建物への愛情なしには生まれないものと思います。今は姿を消してしまったなぎさホテルではありますが、自分が初めて編んだささやかな小冊子『裂のほとり』の中には、ほんのわずかでもその面影を残し続けたいような想いになって、小さなお話しを記してしまいました。きっと今でもたくさんの人が、なぎさホテルのことを忘れずにいると思います。昭和の遠い記憶の中の、あの海辺の地で夜の海風に吹かれながら、いつまでもそこに在ってほしい、逗子のなぎさホテルです。

すっかり話がそれてしまいました。
思い立って行くことができた海行きの日の夕食は、ホテルでコースのディナーを一人で食すという気分でもありませんので、モーニングだけを付けてもらい、夜はスマホで見つけた、鎌倉にある、とても昭和な居酒屋さんに行きました。
昭和30年代後半~40年代はばっちりある、思わず下を向いて「満足です!」と熱く呟きたくなるようなお店でした。入口の佇まいは木枠にガラスの渋い引き戸、店内はいたって飾り気のない、L字のカウンターのみの、7人入れば店内いっぱいという、非常に好みの昭和な居酒屋さんでした。幸いカウンターの端っこに座ることができ、お店の方も、別段独りで来たお客に話しかけることもしないという、でも行き届いているという、自分の好みととても一致した、まさしく願った心地よさで、持ってきた複写の文献を読みながらの一杯は、とても気分の良いお酒となってくれました。ゆるりと羽をのばして、昭和に乾杯した夜でした。

たった一日でしたが、行けて良かった海行きの一泊は、自分をたいへんリフレッシュすることができ、一日以上の時間を得たような気がいたします。
気分の上がるコートを着て、いつもの日常に帰ってき、いつもどおりの古裂の諸々にいそしむのでした。自分の何かに感応するあの波の音に、来年のいつの日か、またいけたらいいなと思います。

 

 


海に到着。江ノ島方面はこんなにも夕方に撮れました。

 

 

上の写真とほぼ同時刻なのですが、葉山方面にカメラを向けるとこんなふう。
日暮れまでまだ時間があります。

 

 

巨大な鳥の顔に見えた雲。古九谷とかに描かれていそうな。
星が見えないかと目をこらしてみた。

 

 

夕闇がせまる頃、おどろいたことに、先程まで見もしなかった小指の爪ほどの貝たちが、波打ち際に突如現れた。波が寄せて引くたびに、一斉に砂の下に潜ってゆく。
貝は夜行性なのでしょうか?ちゃんと夕刻の時間を知って現れたのだから。
生きとし生けるものという言葉を想う。

 

 

夕闇近い海。砂浜から見える建物に明かりが灯るのが見えてきました。
海風もいっそう冷たくなってきたので、そろそろ海の時間も終わりにする。
夜のしじまへ。昭和の居酒屋が待っている。終

 

 

2019.12.31

古裂古美術 蓮
田部浩子