蓮の道草 #35

二月がゆく

二月

 
先日所用があって早い時間に行先に向かった。
その駅を降りて改札口にさしかかると、何やらふわりとよい香りがする。
初めての地だったので伺う先の地図のメモをポケットに入れ、時々取り出してはこの方向でよいのかと確認しながら、川べりの道をてくてく歩いた。
 
街道は絶え間なく車が走っているけれど、車道を越えて道を曲がるととても静かな風景が続くところで、しだいに車の音も聞こえなくなった。
通り過ぎる家々の塀が低い。時折り鳥の鳴き声が長い調子で聞こえてくる。
まだ先なのか、目印が見えてこないことに少し不安を感じ始めたころになって気がついた。駅を降りたときからのあの芳香が、ずっと漂い続けていることを。
気づけばそれは、梅の花の香りでした。
 
手荷物の手を持ち変えながら歩いていると、川をはさんだ東側の斜面にわりあい大きな木の白梅が咲いているのが見える。寒そうな日陰であるのによく咲いていて、木の姿もよいふうだった。
ここは梅の花の香りが妙に薫る土地だな、風向きか地形でもあるのだろうかなどと思いながら、駅を後にしてからのここまでの距離の間、花の香りがまるで途切れないというのもめずらしいと思った。梅の木の姿がそれほど見当たらないからだ。
 
陽当りの川べりに盛り上がるようにして根を張る桜の大木は、もうすぐ蕾をのぞかせてしまうかと思うほどに枝先に春を湛えている。住む近くにある郵便局の道沿いの桜とは、異なる先をいっていた。
目的地へはストレートにゆけず、伺う先を通り過ごしてしまい迷って汗。庭先に出ていらした方にお尋ねして、無事時間前に到着できた。
 
でかけた目的が済んだ午後、来た道を戻ると不思議と花の香りはもうどこにもしなかった。風がまとめて運んでいったのか、香りが生きる時間帯でもあるのだろうか。
こうして一日の中に、目に見えずとも実在する植物の声色というのかいとなみを介して時の移ろいが感じられたことは、平和で穏やかなことと思った。植物の平和に接せられたようだった。
春が浅い、二月の寒さと陽ざしの暖かさがちょうどよく保たれていたある日のできごと。
 
時間は最大の自然という。
空の色も、光の色も、とどまることのない時間によって移ろい変わってゆく。
時間と色とは常に関係していることなどを思ううちに、何かそこの部分をもっと行った更なる先に、いつも心のどこかで感じている色とは何だろう、ということへの、答えではなくて答えの匂い的なものが、その辺りに漂い在るような感じがした。
とはいえ列車に乗車して、居眠りをして目覚めると、いいところまで導けたような気がしたその日の妄想もたちどころに霞んでいて、何をもとに何を考えていたのか自分でも辿れなくなったりする。無常、とその言葉だけ心につぶやき置いてみたりして、再び目の前に積もる片付けごとに追われては、またぱたぱたと日を送ってしまう。
ぱたぱた、さらさら、日々は過ぎてゆく。
 
つめたい北風のまだ春が折り畳まれている二月はとても好きな月で、それも手伝ってわりあいあちらこちらに動いた。観たい展示会は朝一でゆく。
東博の特別展「春日大社 千年の至宝」では、やはり鎌倉時代の赤糸威大鎧(梅鶯飾)を楽しみに観た。甲冑にみられる威糸や耳糸、様々な緒、技巧を尽くした美しく魅力的な世界が染織品の視点で取り上げられる機会の少ないことを不思議に思う。
展示替えで最終日までの赤糸威大鎧(竹虎雀飾)のあの見事な赤の色も久々に観たい。
 
楽しみだったヴィクトリア&アルバート博物館企画のデヴィッド・ボウイ大回顧展「DAVID BOWIE is」に行った。数々の名高い衣装が展示されていて、その人物のためだけにつくられた特別な衣装という存在に、多くの様々なことが感じられた。
伺いたいいくつかの展示会も、月の後半期間内に間に合って拝見することができました。ゆきたくても期間が迫り、観ることができない場合もあるのが展示会。
いろいろご案内頂いたことに感謝しています。
 
裂のことがいつも頭から離れない。
北風つよい、ぬけるような蒼い空の日にはいつもながら海に想いを馳せる。
予定したい出張も連絡を始めなければ。
整えたい裂の宿題の山、アイロンも…
北風の二月がゆく。もう雛の季節になる。
 

2017.2.28

古裂古美術 蓮
田部浩子