蓮の道草 #34

節分の籠と辻に捨てられた豆の話 ― 後編

絞り裂 ちりめん 江戸時代

凍てつく二月の夜の空気はことに澄んでいて、聞こえてくる音には持続力が増している。そんなふうに、思われる。
夜更けに聞こえてくる夜まわりの火の用心。
その呼び声と拍子木の音は直線的に、遠く長く走ってゆく。
二月の夜は闇も深い。

豆撒きをして鬼を追い払う、その鬼とは一体何だろう、などと思っていたとき、ある興味深い習俗があることを知った。
ひとつは京都の上賀茂で見られたもので、十九歳の厄年を迎える娘さんは年よりひとつ多い二十粒の豆を白紙に包み、体をなでてから人に見られないようにして道の辻に捨ててくるのだという。
これは人形(ひとがた)の紙などを体にあてたり息を吹きかけたりして、穢れをうつして身を祓い浄めるそれと同じ観念からなる行為である。
ここでは豆は鬼を追い払うものとして機能しておらず、厄を移すものとなっている。厄を移された豆は道の辻に捨てられている。この「辻」に捨てるということが興味を引いた。

千葉県長生郡長南町でも厄年の人が歳の数の豆と少しの銭を包み、道の辻に捨てるという記録が遺されていて、こちらは行きも帰りも後ろを振り返ってはいけないとされている。子供たちが隠れていて捨てられた紙包みを拾い、豆は食べて銭はその晩のうちに全て使ってしまうというが、そうしないと捨てた人の厄を背負い込むのだという。ずいぶんリアルに厄が生きている。
京都上賀茂でも千葉県長生郡でも、捨てるにあたっては「人に見られないように」や「振り返ってはいけない」といった約束事が強く定言されているのだけれど、なぜ人に見られてはいけないのだろう、振り返ってはいけないのだろう。
自分が厄年であることを「人に見られては」というよりも、その晩必ず来る鬼に知られてはいけない、といったことが本来ではなかっただろうか。間違った推測だとしても、仮にそう考えてみることにする。鬼とは十二月八日の事八日(ことようか)の日に家々に来るとされる、一つ目小僧のことである。(とする。)

事八日の日には、邪悪な一つ目小僧は家の中をうかがって、家の者の運を決めて帳面につけるという話が伝わっている。また、同じく十二月八日の事八日の日に疫病神が来ると伝えられているところでは、疫病神は道祖神に来年疫病にかけるべき人間の名を記した帳面を渡して去るという、怖ろしい話も伝わっている。
具体的にそのように厄をもたらす事八日の一つ目小僧や疫病神が、節分の鬼と同じであるとするなら、災厄が降りかかりやすいとされている厄年の娘さんがいればやっぱり節分の鬼は家をのぞいて大きな災禍を見舞うかもしれない。
豆を辻に捨てにゆくことは自分が厄年である証なので、それを人に、鬼に見られないよう、鬼に知られないよう、振り返ることなく、ではないのかどうか…

この習俗の何を興味深く思えるのかといえば、豆を捨てにゆく場所が道の「辻」であるというところにだ。
辻といえば道祖神がいるとくべつな場所であり、その村や地域の入口である道々の境界に立ち、その土地に住む住人を守護するべく魔の侵入を防ぐ塞の神がいる。辻はまた此の世と異界とが存在する地点として混沌とした場所と考えられ、辻自体が悪霊がたむろしている場所だとも考えられていたという。
平安時代末期の『信貴山縁起絵巻』の中にも道の辻にある赤い祠の横に、道祖神と思われる球体の石が置かれていることが描かれている。大護八郎氏によると道祖神の最も古い形として自然石をあげることができ、中でも球状のものが選ばれたことは、魂(たま)ごもる石として最も尊ばれたからだろうという。
絵巻物の中でもとくに信貴山縁起絵巻に関心があるので、絵巻に見られる球体の石がさらに面白く思える。

道祖神を塞の神などの呼び名で呼んで、上代には道の神、手向けの神とも呼ばれていたとか。手向けの神というのは道行く人の手向ける神だからで、その前を通過するときには神に鎮まり和んでいてもらわねばならない。なぜかというと、神は魔や災禍から身を護ってくれる存在ではあるけれど、反面、祟りをもたらすのも神であるからだ。獅子舞などでは辻切りといって辻が魔を追い出す場所になっているそうで、厄を移した節分の豆の捨てる場所が塞の神のいる辻ということと辻褄が合う。辻は厄の捨て場、それならやはり道の辻は様々なもの、まがまがしいものがたむろしている場所なのだろう。

塞の神がいる辻に厄を移した節分の豆を捨てに行くという習俗、民俗があることを私は知らなかったのだけれど、「鬼は外、福は内」と鬼に豆を撒く全国的な習わしに比べてだんぜん影を潜めて存在していたということに、何かとても古くからの格調ある儀式で、すたれて消えゆくほどの相当古い歴史を持った民俗なのだろうと思える。すたれゆくもの、すたれてしまったものにどうも惹かれる。
辻は「辻が花」の辻でもあり、辻が花の名の由来もいろいろあげられているけれど、解明というのか、様々な「ではないか」、というところで見解がとどまっている。辻についてはとても関心があるので、節分の豆が辻に捨てられるというそのことが興味深くて道草に記しました。

辻にからめて色彩に関わることでは、平安時代には疱瘡(天然痘)が何度か流行していて多くの死者がでるにあたり、その防衛の手段として辻々に木彫りの像を祭った祭壇が設けられたのだそうです。その時の情景が、平安後期の『扶桑略記』の天慶元年九八三年九月二日の条の中に詳しく記されているという。
文献*から引用すると、「近ごろ、東西、両京の大小の路に、木に彫った神が相対されて安置されている。その姿(像)は大夫のように頬髭をつけ、頭上に冠をかぶり、髭の辺りにまで紐が垂れている。身体は赤く塗られ、緋色の衣を着ているが、普段の様子とかわらない。(男女とも)臍下の腰に陰陽を刻んでいる。前には机があり、その上に杯器が置かれている。(略)」とあり、道祖神である塞の神が緋色の衣を着せられていたことが興味深い。疱瘡除けの意味で緋色なのか、この緋色は茜で染められたのかそれとも…などと想像してしまう。頬髭や冠をかぶりなどというと、何だか日本ぽくないどこか異国的な感じを受けるのだけれど。

豆撒きを終えたらお気に入りの盃と日本酒でほっと温まります。
メザシもつつきます。
海に行きたいなあなどと、またもや思いをめぐらせながら。
春がまたやってくるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

2017.1.31

古裂古美術 蓮
田部浩子

参考文献

『ハライとケガレの構造』 近藤直也  創元社 昭和61年
『宗教歳時記』 五来重 角川書店  昭和57年
『道祖神―路傍の石仏Ⅱ―』 大護八郎 真珠書院 昭和41年
「山と里の事八日感覚―会津地方の場合―」 橋本武 『日本民俗学』 第92号日本民俗学会 
 昭和49年
「上代における道祖神の呼称について」 井手至 『萬葉』第95号 昭和52年

引用文献

*「道祖神信仰の歴史 一考察(二) ―古代から中世にみる道祖神―」 石田哲彌 『高志路』第387号  平成25年