蓮の道草 #18

二月の話

縫糸 江戸時代

木々の肌の色が変化してきた。
枝先のふくらみが力を増している。

自然が演奏前の調律をしているような、
箱の中で何かことことと音がしているような、
大気の中に気配と兆しを湛えている二月は一番好きな月。
冷たい空気の中でまだ折り畳まれている春がよくて、どこも静かで、
江ノ電にでも乗りにゆきたくなる。
三月の雛に供える金花糖を探しに、駅を降りて古いお菓子屋さんを訪ね歩いてみたくなる。

ずいぶんと昔に、逗子のなぎさホテルというところに泊ったことがあった。
寒くても二月を待って出かけた。
パソコンも携帯電話もまだ世の中で一般化して登場していない頃だった。
雑誌で見た木造のそのホテルのレトロな佇まい、レストランのディナーのメニューは粋にも手書きで、書かれた文字の具合にもくーっと参り、どうしても泊ってみたかった。
ハタチちょっとの自分からすればずいぶんと背伸びした。

暮らしごとに関心が募り、露店や方々に出かけては気に入った古い器類を買い求め、
覚えたてのおぼつかない料理をのせてみるのが楽しいときだった。
佐藤雅子さんの『季節のうた』(文化出版局)や大村しげさんの『京暮し』(暮しの手帖社)をくる日も読み返しては丁寧な暮らし方につよく憧れた。

電車を乗り継いで、逗子までは遠かった。
なぎさホテルで覚えていることは、宿泊した部屋に付いていた洗面台が愛すべき古めかしさで大喜びしたこと、
クローゼットの扉が素朴すぎる木の戸で「いいね」と思ったこと、
手書きメニューのレストランではお財布を気にしながら鮭のムニエルにカトラリーをあてたこと、
赤じゅうたんの廊下で気取って新聞を読んだこと、
そしてなぜか記憶に鮮明に残っていることは、夜の海風に吹かれて身を左右に跳ね返らせていた、芝生に見える草の姿です。
真っ暗な夜の外をガラス窓からのぞくと、すぐそこに庭の芝生と木の柵が低く見え、窓の近くに植わる名の知らない草が、引き抜かれそうなほど強い海風に翻弄されていた姿です。
ホテル前の湘南道路の向こう、夜の海は怖いだろうなと思ったように思う。

あとから知れば、そのほんの数年後になぎさホテルは老朽の理由から閉館してしまわれた。
創業は大正一五年。渚に建つ小さなホテルは木造の建物の内に和洋のモダンをしっとりと調和させて、昭和の逗子の海をずっと見てきた。
取り壊されたあとの今はファミリーレストランが建っているという。
アルバイトして手に入れた革のかばんで出かけて、精一杯背伸びした想い出も二月の中にある。

薄氷に反射しているような今の時期特有の光と寒気を感じる日など、記憶の奥のなぎさホテルの庭を思い出すことがある。
そんなことを思ってみても、とりとめのないことだけれど、もし今も木造の、あの温かみのあるホテルが在るとしたら、この時期少しの本と解きたかった小さな裂をたずさえて、時代の縫糸を目打ちで掬い、散歩もして、日長の数日籠ってみたいもの。
もっとも数日なんて贅沢は、はなからできないことでもあるし、やっぱり叶わぬ妄想で終わってしまうだろうけれど。

時にずいぶん昔の景色を手繰ってみると、歳月の砂山に深く埋もれて輪郭だけになった自分を見つけたりする。
そんな忘れて置いてきぼりにした自分をいっとき思い出すと、さしあたって今日明日の気持ちの在処に少しだけ元気の目盛りが加わって、何か新しいことでも始めてみたい気になったりする。
そしてまた、忘れていた自分を思い出したことを、忘れたりする。

2016.2.15

古裂古美術 蓮
田部浩子