ブーフーウー 留守図

 
連日厳しい暑さが続いております。
このたび『暮しの手帖』さんから95号「ひきだし」の取材申し込みのご連絡をいただいたことは、まるで思いもよらないことでした。
このページは、ものづくりをしている人や、ひとつのことを長く続けている人の暮らしに迫り、その人の心の中にある大切なひきだしをあけさせてもらう、ドキュメンタリー連載ということです。題名の「ひきだし」は、その意味合いからと伺いました。自分一人しか乗れない大きさの、ごく小さな舟を、遠くまで漕ぎ続けてきたといった感の蓮であり、私ですが、時の巡り合わせの中でご縁に出合い、そのような経験をさせていただけることに感謝して、お受けいたしました。
 
取材にあたり、古い時代の染織資料や、江戸時代の古裂たちをいくつかご紹介させていただいたと同時に、自分の暮らしの中だけで楽しんでいた、昔から自由気ままに自作してきたものも、ひょっこり編集者さんたちにお見せしたところ、うわー!と皆さん喜んで下さり、記事にある写真は、そういったものたちです。ポンポン船に煙を出したいときは、煙突に綿を摘んで入れて、煙をたなびかせるのだと実演してみせると、再び室内に、わー!と笑い声が響きました。
 
「ブーフーウー」のお人形を作った経緯を、少々、この場でお伝えさせていただきたいと思います。幼いころ、NHK番組で放送していた三匹の子ぶたの「ブーフーウー」は、子供の心を虜にする、着ぐるみによる魅力たっぷりの人形劇で、当時の私のアイドルでした。生まれた年代が近い方でしたら、きっと皆さんも御覧になっていらしたのではと思います。三匹が着ていたメキシコ風の衣装にも、子供心に私はとても異国を感じていて、そこから遠い外国への空想を、たくさんふくらませたりしていました。
 
あるとき、骨董市の会場を歩いていると、懐かしのブーフーウーの小さなお人形が三匹揃って、お店の棚の、一番上に飾られていました。嗚呼、なんて懐かしい!と思わず欲しくなり、大人買いができると思ってお値段を訊ねたところ、目が点になるほどの、驚きのお値段でした。びっくりしてその三匹とすぐにさよならしたものの、帰り道には、「それなら作ってみよう」と、もう作ることを考えていました。立体的に作るには、顔は真ん中から縫い合わせたほうがいいのかな、などと。ブーフーウー(正確にはフーですが)のお人形は、高額で買えなかった三匹たちのお蔭で出来上がりました。当初は三匹作るつもりで型紙を用意しました。フーの持ち物の麦藁帽(写真の帽子です)制作については、記事のとおり、100円ショップで見つけたくずかごを解体して…。長文になりそうなので、割愛します。ひそかに大満足の出来の麦藁帽です。
 
いつの頃からかは忘れましたが、心に残る、忘れられないものがあったりすると、「やっぱり欲しいから作ってみよう」と、作るほうへと意識が向いて、そのうちおもむろに材料を探してきては、自作して部屋に飾り、楽しんでいました。どれも上手いものはありませんが、何だかおもしろく出来たものが過去いくつかあり、ああで、こうで、と思い浮かべて、自分の作りたかったものが立体になり、しだいに姿形ができてきて目の前に置かれているというこれが、すこぶる楽しい。あくまでも自分の楽しみで、魯山人の椿鉢や染付のお匙をダンボール紙で作ってみたいところ、まだ果たせていません。お匙は以前着手したのですが、途中でエネルギー切れとなり、途中までの、よくわからない状態のものを、友人にもらってもらった記憶です。
 
仕事をする時間割りからいって、制作するときは必然的に、夜中です。でも、なぜだかモウレツにぎゅうっと気分が集中して、こんこんと作り続けてしまうときがあります。そうした先に、ささやかでも自分が笑えるものや、大満足のものができたりする。お仕覆、組紐も8年習わせていただきましたが、古裂を整える作業で、使える時間が精一杯になってしまいました。
あれも作りたい、これもまだ作っていない、蓮の包装紙だって、ほんとうは手描きしたものを作りたい、それより何より裂を解かねば、洗わねば、アイロンが、市場だ、出張と、コトコト、コトコト、いつの間にか、時間が足りません。
 
取材は2日間かけてずっと向き合って下さり、編集者、ライター、フォトグラファーの皆さんの、取材への真摯な姿勢には大変心を打たれました。そして、心から、感謝の時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。偶然にも蓮25周年の節目である今年に、貴重な経験をさせていただきましたことは、とても感慨深いです。これからも努力して古い裂を探し、皆様に愉しいものをご紹介させていただけますよう、励んでまいりたいと思います。「ひきだし」をお読み下さいました皆様、ありがとうございました。

2018.7.25

古裂古美術 蓮
田部浩子