蓮の道草 #31

今年も暮れゆく

糸巻と繭玉 木綿 絞り染 江戸末ー明治

今年も残りわずかとなりました。
暮れの二十日すぎ、避けたかったこの冬二度目の風邪をひくも、今年最後の関西出張を二十四日に無事終えて、残る年内にかたずけなければならない雑務のあれこれにぱたぱたと右往左往し、でもそのお蔭でいつのまにか、風邪が軽くなっていました。皆様もお気をつけ下さい。
どうしたことか、例年よりずっと時間が足りなかったこの年末でしたが、大晦日はやっぱり心静かに過ごしたい。やっと少しずつ自分のペースを取り戻しています。

昨日までは店を出たり入ったり。夜は残業で居残っておりました。
お正月に飾る用意の花がなかなか花器に入れてあげられず、赤い南天の実とふくらんだ水仙の白い蕾が、流しのところでずっと壁にもたれかかっていました。
小さな松は、緑がなんだか今年のものは、色がとくべつ薄いようで、離れた作業台の前から目を向けていると、イタリアンのサラダに散らして食べられるのではと思えるくらいに、なにか野菜的に感じられました。わりと遅い時間で空腹だったからでしょうか。
蓮の店の界隈は、昭和の雰囲気が漂う銀座の裏通りで、昭和からの小さなバーがずらっと軒を連ねているところ。夜がはじまり更けゆく時間は、いつも決まってどこかのバーから昭和の歌謡曲やあれはジャズなのか何というのか、いくつものメロディがあちらこちらから籠って混ざって聞こえてくるのです。それがいやではありません。

十二月に入って間もなくのことでした。
ここ二日三日前から午後の三時を過ぎた頃になると、どこからか、ちんどん屋さんの音楽が聞こえてくるのでした。そう、あの音楽です。小さな鐘の、カンカンカンカンカンカンカンカン、延々続く、あのリズムが。
古ビルのかしこに音が反響するのか、音はすぐ近くに迫っているのに、遠のいたり近づいたりしていました。
一体どの道を歩いているのか、車の音も通りのざわめきも透明の背景になってあの音楽だけが、なにか銀座の裏通りを迷子になったように、あちらを曲がり、こちらに戻り、目じるしの無い古ビルの角々から吹き抜けるように聞こえていました。
子供のころの懐かしさいっぱいで、何度も店の窓を開けて、蓮がある古いビルのこの通りをちんどん屋さん、通ってくれないかななどと思って待っていました。
そのうちに遠くへ行ってしまったのか、ちゃるめらのような音もいなくなりました。ふうん、と思い、あのカンカンカンカンカンカンカンカンのリズムを繰り返し胸の中で反芻していました。

それから数日たった夕方、郵便局に行くので店を閉めて角の道を渡ろうとしたところ、対面する道路の向こうにちんどん屋さんがいたのでした。
車が通り過ぎるのを待つと三人のちんどん屋さんは息を合わせて、カンカンカンカンカンカンカンカンの鐘を叩き始め、あの独特の音楽を奏でながら道路の反対をすれ違ってゆきました。
私は走り寄りたいくらいにもうれつにうれしくなって、昭和の歳末の雰囲気をどっと感じて大感激。ほんとうは写真を撮りたいななどと思いつつも、でも何だかそれは失礼な気もしたので断念し、独り熱烈に熱い視線で見送っていたところ、近くを歩いておられたご年配の紳士が、焦るようにしてかばんからスマホを取り出して、もう去りゆくちんどん屋さんたちの後ろ姿をパシャっとおさめられたことに機を得て私も、あわててスマホを取り出しては、同じくパシャっと一枚シャッターを押したのでした。
その方もずいぶん懐かしくあったようで、いつまでもいつまでも見送っていらっしゃいました。

なぜあんなにちんどん屋さんの音楽に心が動かされるのか自分でもわかりませんが、できることなら毎日でも街に来ていただきたいもの。そのくらい、いいものだなあと思うのです。もし誰かに「仕事をしているときに、必ずどちらかをバックミュージックにかけていなければならない。」と言われて、祭囃子の笛太鼓とちんどん屋さんのあの音楽を差し出されたら(一体誰がそのようなことを言い置くであろう)、私は迷わずちんどん屋さんにいたします。裂を解くのにカンカンカンカンのあの真っ直ぐなリズムは、集中力を誘導しそうな。

子供の頃、たまに町に来るちんどん屋さんは、ちょっとこわい存在でもありました。お化粧がとくべつだった、そのことが要因だったように思えます。
こわかったそれを思うと、古来から化粧は神に近づくためにほどこされたり、何か日常とは区別される異界との交信や常の状態ではないことを周囲に知らしめるためのものだったり、人間を上回る魂を引き寄せる力を化粧は担っているようで、そういった原始なものが、なにかこわさを思わせるゆえんなのかもしれません。
ちんどん屋さんは商いごとはしないけれど、江戸時代のあらゆる行商、振り売りも、踊りながら、唄いながら、自慢の呼び声を披露して、季節の街中の隅々を巡ったといいます。また江戸時代の振り売りのことなど調べてみたくなります。

話がとりとめのないものになりましたが、昭和の歳末の風景をしみじみと感じさせてくれるちんどん屋さんに、思いがけず再会できたこの暮れでした。
いっそのことデパートのアドバルーンも復活してもらえまいかなどと、広告の形とは本来何を心するのだろうなどとしばし思いながら、時の流れと時代の姿を思うのでした。

さて、今年もあとわずかという中に、こうして道草を記すことができました。
暮れにいつも取り出すルリスタンの青銅の小さな鐘。舌が欠落していて鳴ることのない小さな鐘に、この一年を想います。
今年は緑色の紬の裂を、鐘に敷いてみましょうか。
今は冬の土の中に休む、やがて萌えいづる緑の色をことほいで。

今年はインスタグラムを見ましたとお声を頂いたり、お忙しい中御来店下さいましたお客様、いろいろなご縁を繋げていただきほんとうにありがとうございました。心より感謝申し上げます。来年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
この一年も、草木からの色と裂に関われたこと幸せでした。
皆様どうぞよいお年をお迎え下さい。

2016.12.31

古裂古美術 蓮
田部浩子