サクラのサはサの神という穀霊である田の神のことをいい、クラは神座を意味する語なのだという。
名の由来については諸説あるが、この国においてやはりサクラはとくべつな木であり、古来より神霊が依り憑く依代として重視されてきた。花の咲き方や散り方で豊穣の吉凶を占った。
時季が来て山から降臨した田の神が、依代であるサクラの木の先端に依り憑いたそのしるしがサクラの花の開花であり、花が咲いていることは、そこに神霊がとどまっていることを意味するとした観念が古くは人びとに自覚されていた。

 

田植えの行事に関係する言葉にはサの語がつくものが多く見られ、早乙女(サオトメ)、皐月(サツキ)、早苗(サナエ)、五月雨(サミダレ)、サオリ、サノボリなどがあげられる。
語の根源は現代を過ごす中では消え入りそうに隠れてしまっているものの、サの神は数々の日本の言葉の中に坐しており、知らず知らずのうちに私たちは口にしていることになる。意識の外で伝承している。

 

深く「サ」を調べてゆけば、染めに関する古い言葉の中にもその現れがいくつか見つけられないかと思うが、どうだろう。
古は色に祈念を籠め、色彩を崇めた。自然への信仰が生活の中に濃密にあったから、山から採取する染料の草木に籠められて、色に関わりがあるような何かの言葉の内に、サの神がさりげなく冠されて隠れていないかなどと想像する。色名や何かにサの神が隠れていても、不思議はない気がするけれど。

 

田の神のことを追いかけて、いくつものサのつく言葉と出逢っているうちに、ふと気づけばいつのまにか、気持ちの中から何やら埃っぽいものが去っていて、水が張られた澄明な風景というのか、山を背にして広がる田を見渡しているような、若葉の緑色の空気にあたっているような、そんな気分が内側にほんのり生じていた。
瞬時の感覚にせよ、そのように気分を持っていかれたことは、言葉が持つ力と連想する緑の力ということだろうか。

 

どこかの山から里へ降りてこられた田の神は、街中のあちらこちらのサクラの枝先に宿っておられ、今年の田植えの頃を待っている。
水ぬるむ。季節はいそぐ。
出かけた江ノ電の車窓からは、春の野原にもぐらの土がたくさん見えた。
公園の池に棲む小さな魚も水藻とあそび、ちゃぷんと水を跳ね返す。

2016.3.24

古裂古美術 蓮
田部浩子

参考文献

・『花の民俗学』 桜井満 雄山閣 1974年
・『年中行事』 和歌森太郎 至文堂 昭和三十二年