白地丸龍文金襴

 
布を裁つ、という。
「裁ち縫い」は裁縫のことで、裁つことと、縫うこと。
裁縫には、このふたつの工程がある。
布を切るとは言わず、なぜ「たつ」というのだろう。
そんなことを思ったら、「たつ」とは何だろう、と思ってしまった。
 
立春、立夏、立秋、立冬…
風が立つ、立ちのぼる気配、予定が立つ…
何か自然界における現象や、目に見ることができないものに対して掛けられた言葉に「たつ」が多く使われているようす。
古代語研究家の保坂達雄氏は「たつ」の語と、神が祟るの「たたる」という語との関連性を示されている。
「たたる」などと聞くとちょっとこわい気もしますが、古くは大いなる神の存在を畏れ、姿の見えない神の意思と対話の中に日々を生きていた日本の国と日本人の古の姿を思えば、この語も深い意味で捉えることができるのではと思えます。
続けてみます。
 
「たたる」は「たつ」という動詞に動詞化する接続語の「る」を付けて、改めてつくられた語形なのだそうで、「たたる」の言葉に神の神意の発現を意味する内容があるとすれば、「たつ」の言葉にも、もともとそういった意味が備わっていたと見なければならないと、保坂氏は述べておられる。
「面影に立つ」を例にあげ、現実に目の前にいない人が幻となってそこに立ち現われるという不思議な現象を指すことからも、「たつ」は霊威性のある語であり表現であることが考えられるという。
一方で中山千代氏は粋や伊達でいうところの「だて(伊達)は『立つ』の意味で、人目につくように形を表すことである。」といい、「立つ」すなわち「たつ」は、形を表すことと説明されている。
 
ここで、裁縫において布を「裁つ」ことを「立つ」の語で表しているものがあるのかを気にしてみたところ、享保17年(1732年)刊行の『万金産業袋』(ばんきんすぎわいぶくろ)に於いて、「立物(裁物)のことはとかくその物をとらえて…」や、宝暦14年(1764年)刊行の『絹布裁要』に「…立図(裁図)を製し、若出きれあるものは幾ケも図を製して、…」など、「立」で表されているものはみられる。
これらの「立」が、「たつ」の意識が受け継がれて用いられたものなのかは不明であるし、単に読みから当てた可能性もあるけれど、無いことはなかった。
 
畠山大二郎氏はその論文の中で、前述の保坂氏の分析も示されながら「古代語におけるこれらの『たつ(多くの場合「立」の字をあてる)』と『裁つ』とを直接同一と見なすことはできないが、同じ源流を持つ言葉としてみることはできるだろう。『裁つ』は、『面影に立つ』の『立つ』のように示現や発現を意味するのかもしれない。生地を裁断することによって、形が「たち」現れてくるのである。裁断によって、生地が形作られるからだ。」と導いておられる。
これらの事柄から考え合わせると、布を裁つことの「たつ」は、霊威性を持った「立つ」ことを背景に宿しており、布から何らかの姿を「たち」のぼらせる意味を持つことから、布を「たつ」へと語が至ったのかと思える。
 
また、大木桃子氏の論文では「たつ」には本来「ささげる」の意味があるとされるほか、「たてる(立)」と同語源であること、また「出発させる」の意があることから「物などを他に至らせる」、「献上する」の意に変化したものと考える説もあることを記されている。布を「たつ」ことは、その姿かたちを「出発させる」その意味も内包していると考えるのも、間違いではないのだろうか。
 
裁ち縫いにおいて裁断に関して意識を向けてみると、縫うことと裁つこと、このふたつのうち「裁つ」ことへの関心は、あまり向けられていないように思われる。
天然繊維の一本の糸を紡ぐ(績む)ことからたいへんな工程と時間をかけて手織りされた布地は、古くは現代では想像しがたいほどの貴重品だった。日本人の衣服である和服は直線裁ちであるけれど、織りあげられた素材段階の布地に対し、各部の寸法の割り出しにあたる裁断技術には、裁断に間違うことのない能力が求められた。
 
貴重で高価な布地を誤って裁ち損じてしまっては取り返しがつかない。
畠山氏の論文は中古文学の『落窪物語』の裁縫行為について深く考察されたものだが、物語からみえてくる平安時代当時の貴族邸における裁ち縫いの事情から、布地の裁断を行うのは上位者が行っていたことに注目されている。
畠山氏は「裁断は、いわば衣服の設計図を描く作業であった。絵画でいえば、墨書きに相当する。」とされ、それだけ裁図裁断は責任ある仕事で失敗のない裁断をおこなえる上位者にゆだねられた重要な作業だったことがうかがわれる。
芸能ごとと同じように、技術としての裁ち縫いはそれを教え伝える習練や口伝による方法がとられてきたこともあり、それゆえ文献として遺ってきたものは数少ないと岡野和子氏は示されている。現存する裁断(裁物)に関して遺された最も古い文献は『裁物秘伝抄』といわれるもので、発刊は元禄三庚午年(1690年)卯月、柳之馬場通八幡町角(京都)、大船屋長兵衛板といい、著者は氏孝(姓は不明)であるという。この本は現在の裁縫書にみられるような仕上げ寸法や縫製方法などには全く触れていないという。
 
平面状の布地に鋏を入れて、布を「たつ」。
形が立ちのぼり現われてゆくその行為には、古であればそこに祈りが籠められていったであろうし、着用者の身体、つまり生を包む衣服の作製には、魂の存在を重要視した古い時代ほど様々な祈念が籠められていったはずなので、つくづく衣服や染織品は人間の精神性や祈りの心と切り離せないものだったことを考えさせられる。「裁つ(たつ)」行為自体にも、本来は祈りが籠められたであろうこと、日本にあったそういった姿が、ほんのうっすらとでも自分なりに感じられたような気がした。
 
「たつ」を起点に、とりとめのないことを綴りました。
「布をたつ」という日本語に、日本のいろいろを感じながら使ってゆけたらと思います。

2017.5.1

古裂古美術 蓮
田部浩子

参考文献

・保坂達雄 「たつ」 『古代語誌 古代語を読むⅡ』古代語誌刊行会編 
 桜楓社 1989年(引用文献ともに)
・中山千代 「いきな女とだて男」『やぼといき さむらいと町人展』
 日本風俗史学会 1970年(引用文献ともに)
・畠山大二郎 「『落窪物語』の裁縫 ―落窪の君の裁縫行為を中心として―」
 中古文学 第九十三号 2014年(引用文献ともに)
・岡野和子 「裁物秘伝抄」『衣生活』4月号 衣生活研究会 1972年
・大木桃子 「爪の歌 ー催馬楽「山城」と和歌ー」『語文研究 第百六号』
 九州大学国語国文学会 平成20年