2020.9

  • 「永遠のソール・ライター」展へ

     

     

    「永遠のソール・ライター」展

     

    Forever Saul Leiter
    「永遠の ソール・ライター」展

     

    東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム
    7月22日(水)~9月28日(月)

     

     

    会期中に間に合い、やっと観てまいりました。
    2017年に東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで日本初の回顧展が開催され、今年1月に再び日本で「永遠のソール・ライター」展が同じく渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにて開催されましたが、思いがけないコロナ禍の影響により開催中止となってしまいました。その展覧会が幸いにも急遽アンコール開催の運びとなった今展です。

     

    写真家ソール・ライターは1923年12月にアメリカ・ペンシルバニア州ピッツバーグで生まれ、2013年11月にニューヨークにて享年89歳で此の世を去りました。ニューヨークのアパートの同じ部屋に60年以上暮らしたというソール・ライター。彼の撮る雪の日のニューヨークの街や誰の日常にも在る時間、窓ガラスに映る人影や人びとの後ろ姿、それらをみつめる彼のまなざしを写真を通して体感していると、刻み続ける「時」の存在を感じるとともに、何かソール・ライターの心に映る心象風景、語ることはしない自身の背景、ソール・ライターに常に通底している波長のようなものが、こちら側にも通じて静かに流れ込んでくるような、そんな感覚を受けるのです。そしてソール・ライターの遺した言葉には、冬の星々のまたたきのような澄んだ美しさが在ります。

     

    We live in a world of color.
    We’re surrounded by color.
    私たちは色彩の世界で生きている。
    私たちは色彩に囲まれているのだ。

     

    「色」の存在について想うことの多い私は、この言葉がとても心に響きます。

     

    I happen to believe in the beauty of simple things.
    I believe that the most uninteresting thing can be very interesting.
    私は単純なものの美を信じている。
    もっともつまらないと思われているものに、興味深いものが潜んでいると信じているのだ。

     

    ソール・ライターの心根の言葉、
    ふたつとも本展図録からの言葉です。

     

    ソール・ライターの遺した膨大な作品資料はライターの遺言によって財団に託され、今なお新発見の作品の整理が続けられているそうです。
    私の拙い言葉を並べてみても何もお伝えできないのですが、「永遠のソール・ライター」展は9月28日(月)が最終日です。混雑が見込まれる連休中の日程の入場方法等については、会場にご確認されたほうがよろしいかもしれません。

     

     

     

  • 秋の訪れ

     

     

    タマスダレ。

     

    昨日のオークションの帰り道、道端でタマスダレの白い花が咲いていました。懐かしく、とても好きな花のタマスダレ。この花はヒガンバナ科だそうで、この花に逢うと、そろそろ赤い曼珠沙華の季節かと気付かされます。今日も別な道端で、タマスダレに出逢いました。写真の小さな一輪です。以前は植木鉢で育てており、毎年の花を愉しんでいたのですが、いつの間にか姿を消してしまいました。秋の初めに咲く楚々とした花です。

     

    道を歩いていると、チン、チン、チン、と鉦叩き(カネタタキ)の鳴く聲も聞こえてきました。小さな鉦を叩いている、そんな良い名前をつけてもらった秋の虫です。お店に入るとすだちが売られていたので買って帰り、いろいろに絞って使う。
    タマスダレ、鉦叩き、すだちと、秋の訪れを知る昨日今日です。

     

     

     

  • 天高く

     

     

    彩色画 唐船図(部分) 江戸時代

     

    日が短くなり、暮れどきが早まってまいりました。 店の外を見るともう暗いです。
    夕風はだいぶ涼しさを感じるようになりましたが、日中の暑さはまだ真夏なみです。何か九月になってからの残暑のほうが、身体にこたえるような気がいたします。それでも今日店に着くまでの間、銀座の交差点の信号待ちで空を見上げると、もう夏空ではなく、乾いた空気の秋の空が感じられました。天高く、というあの言葉が思い出された空の表情、空の蒼さでした。

     

    秋の終わり頃には、できるだけ人のいない海を見に行きたいものですが、今年は行けるかどうか。少しでもコロナ禍が落ち着いてくれますように。広い広い海を見て、あの波の音をずっと聞いていると、自然と自分が調律されてゆくような、そんな気持になります。そのようなことで、寄せては返す波の音を想いつつ、魅力の渡り裂たちを運んできた唐船の色彩画をアップしました。御覧いただけましたら幸いです。

     

     

     

  • 長月 九月

     

     

    幡裂残欠 種子阿弥陀如来図
    江戸時代 17~18世紀 絹

     

     

    九月になりました。
    猛暑の夏も過ぎつつあり、止まない蝉時雨にも季節の終わりをそこはかとなく感じます。
    この時季はなぜか桜の木がよく葉を落とすので、道を歩いていると、桜の香りがしてくることがあります。桜餅の、あの香りです。もう少し移ろうと、ある日道端で金木犀の香りにも出逢うことでしょう。秋は様々な香りを連れてやってきます。

     

    八月は休会だったところのオークションも今月から再開し、今年後半のすべてがゆっくりと動き始めました。残る四カ月は、どのような風景の日々になるでしょうか。コロナ禍の不安は伴いますが、自分の好きな世界を静かに見つめてまいりたいと思います。
    今月もよろしくお願いいたします。